家から生駒駅前のカウンセリングルームまで、車で15分。
このところ、カウンセリングルームへの行き帰りのCDは、宇多田ヒカルのニューアルバム「初恋」なんですが、
その最初の曲の歌詞について、私の心に残る部分を取り上げたいと思います。
この曲のタイトルは、サビ部分の「Can we play a love song?」から取ったもの。
「ラブソングから始めない?」と訳してみたんですけれど。
“傷ついた時僕は
一人静かに内省す
深読みをしてしまう君は
不安と戦う”
そんな「君」に対する「僕」の語りかけ、という設定。
“長い冬が終わる瞬間
笑顔で迎えたいから
意地張っても寒いだけさ
悲しい話はもうたくさん
好きだって言わせてくれよ
Can we play a love song?”
「悲しい話はもうたくさん」のフレーズにも心動くんだけど、
私が一番、心動かされるのは次のフレーズ。
“友達の心配や
生い立ちのトラウマは
まだ続く僕たちの歴史の
ほんの注釈”
自分の来し方のあれこれや、それから…クライエントさんの置かれている状況のあれこれや、
そんなものが、時にワッと押し寄せてくるように感じられるときもあるのですが、
いや、大丈夫、まだまだそれはたいしたことない! って感じで「まだ続く僕たちの歴史の/ほんの注釈」って。
背負っているものの大きさを、「ああ、大きい!」と思えば、ホント呑み込まれてしまいそうで。
でもそれを「ほんの注釈」なんて感じで「たいしたことないよ」と思えば、まだ頑張れる、というか、
するりと力を抜いて駆けだしていけそうで。
…そうね。ものごとを大仰に捉えると、ホント重たいばかりで。
トラウマを抱えてたとしても、自分の人生の「ほんの注釈」と思えば、
まだまだ続く自分の人生を見据えて、これからも歩いて行けそうな、そんな気になる。
ものごとは慎重に構える必要はあるかもしれないけれど、深刻になる必要は、ない。
深刻になれば、恐怖や絶望にとらわれて、動けなくなるかもしれない。
そんな弊害を呼び寄せるより、「たいしたことないよ」って軽々と越えていった方がいい。
そんなことを思いました。
そう、「悲しい話はもうたくさん」だから、
今できることを積み重ねよう。
昨日来られたクライエントさんにもそう言いました。
「もっと早くに取り組んでおけばよかった」と過去に目を向けられるから、
「過去と他人は変えられないのだから、今できることを考えていきましょう。その『今』が未来を創っていくのだから」と。
そして、今、もう少しお伝えしておきたいことが出てきました。
「多分、今が『ちょうど』のタイミング」なんだと。
過去の時点では、きっとまだ、あなたが取り組む「時期」ではなかったから、動けなかったんだ、と。
そう考えると、何も、後悔する過去など何もない、と。
画像は、今年の5月の朝、アンジーとの散歩で撮った街路樹の花。
どこまでも青い空に、新緑と白い花がとても綺麗でした。