「読書への誘い」の第104号を更新していて、菅原克己の「マクシム」という詩に再会しました。
…そうです。2回目の再会。
1回目は、大人になって、「読書への誘い」を作っていて、
2004年に「あ、この詩だ!」と見つけたとき。
今日は、最初の出会いを思い出しながら、ゆっくり味わってみたいと思います。
「マクシム」 菅原克巳
誰かの詩にあったようだが
誰だか思いだせない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
このことばが好きだ、
<マクシム、どうだ、
青空をみようじゃねえか>
むかし、ぼくは持っていた、
汚れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘(くび)になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。
ぼくは留置所に入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴られた
ある日、ぼくは河っぷちで
自分で自分を元気づけた
<マクシム、どうだ、
青空をみようじゃねえか>
のろまな時のひと打ちに、
いまでは笑ってなんでも話せる。だが、
馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も、未来も……。
言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で、自分がかわいそうになったら
その時にはちょっと胸をはって
むかしのぼくのように言ってごらん
<マクシム、どうだ、
青空をみようじゃねえか>
(詩集『遠くと近くで』)
なんというか…一昔前どころか、半世紀ぐらい前の「青春」みたいで。
「留置所」に入ったりするのは、どうも「社会運動」か何か…
政治に抗議をして、デモ行進などをして…という雰囲気を感じるのですが。
1960年代、ぐらいでしょうか。
60年代に生まれた私にも、「学生運動」的なものは時代の空気としても何も知らず。
テレビか何かで、そのようなVTRを見たぐらいなもので。
だから、あまりピンときてはないのだけれど。
「青空をみようじゃねえか」というセリフは、ちょっと「労働者」、
それも肉体労働者っぽい感じで。
ちょっと言い回しの雰囲気を変えて、
「マクシム、青空をみようじゃないか」という言葉に出会ったのは、高校1年の時。
「現代国語」のワークシートに、感想か何か書いて提出するときに、
あまり精神状態が思わしくなかった私は、多分、その時の辛い気持ちを少しそこに書いたのだと思う。
何を書いたのかも覚えていないけれど。
その時の「現代国語」の先生が、返してくれたのが、この言葉。
マクシムって誰?
いったい、何のセリフ?
そう思って調べた私は、菅原克己の詩に出会ったのでした。
その詩の中でも、その言葉は「引用」されたものだったから、
結局のところ、最初の出所はわからなかったのだけど。
思春期のさなかで、人生の抱える「闇」ーー
孤独であったり、挫折であったり、
今から思うと、些細なことからそんな大仰なところにいくのは大げさすぎる感じだけど、
でも、案外、本質を突いている「感覚」だったかもしれない。
そんな「感覚」を無下にするのでなく、
さりとて、人間の孤独を感じている10代の女の子にしてあげられることはそれほどなくて、
その先生は、この言葉を贈ってくれたのかもしれない。
時代は変わって、状況も変わっていく。
けれど、人の孤独であったり、挫折したときの辛さなどは、そんなに変わらないものではないか?
カウンセリングに来られている高校生に、
その子たちの辛さを前にして、私の差し出せるものは何だろうか? と思うことがある。
明確な答えはなかなか出ないけれど、
少なくとも、うずくまっているあなたが立ち上がるまで一緒にいるよ、という気持ちで、
「青空をみようじゃないか」という言葉を贈りたい私がいます。
画像は今年4月1日の青空。朝のアンジーとの散歩で撮った桜。