それだけを告げて、私は灰褐色の瞳を覗き込んだ。
…相変わらずの、何を映しているのか分からない瞳(め)。
ももちゃんは、「ほう…」と言ったきり。
それはどうなのか、という「値踏み」はまるでされずに、
ただただ「そうですか…では、そこから(始めましょうか)…」という感じで。
以前は、私の何を見てるんだろうか…と少し落ち着かない気持ちになった。
今は、何を見られていてもまあいいか、と放っておける気持ち。
ももちゃんの視線をまるで気にせずに、自分の内(なか)に沈んでいった。
「私にとってゲシュタルトって…」などということは、余りに抽象的で。取っかかりがなくて。
だから、ずるずると母との関係を語り始めていた。
「夜、眠れなくなっている母は、今日私がワーク(ショップ)に行くと分かっているのに、病院に連れてくれと夜中に起こしに来て。」
「病院に朝の5時半に電話したら、繋がったけど、初診の予約は1ヶ月から1ヶ月半先だと言われて、すぐさまどうにもならないことが理解できたみたいで。それで、今日無事にこちらに来ることが出来て良かったんだけど。」
このところ、…そう半年ぐらい前から、母は、私の泊を伴うお出掛けを露骨に嫌がり始めた。
…ああ、そうだ!11月の東京でのフェルデンクライスのワークショップでも、2日目の夕方、「早う、帰ってきて」と電話があったっけ。
「…そうすると、それはあなたにとって『馴染みのある感覚』、なんだよね?」
ももちゃんの声が私の奥底に響く。
そう! まさしく、そう。
その束縛が重苦しくて、それから逃れたくて、370㎞離れて暮らすことを私は選んだ。
「日常的には関わらなくて済んで、それで解放された面もあるんだけれど、でも、物理的な距離の問題だけではなくて。」
「それも、分かっているんだよね。」
「父が亡くなって、母がひとり暮らしは出来ないって言ってきたときに、私は老後をどこで暮らしたいか、と考えて。」
25年過ごした広島ではなかった。やっぱり奈良に帰っていたい自分がいた。
「でもね、奈良に帰るというのと、実家に帰るというのと、何も同じに考えなくて良かったのに…って後から思った。…もっとよく考えればよかった、って。」
そう。私は後悔した。…なんて考えなしだったんだろう! 自分が自由に動けなくなることを想定しなかったの? って。
しかし…、と一方で考える私がいる。…なんで、自分のしたいことをするのに、母の許可が要るの? おかしいでしょ?
そう! 私は気づいている。泣いてすがってくる母が、私がいないとなれば、自分でなんとかしていることを。
「娘を奈良に呼び寄せることが出来た時点で、お母さんは『やったー!』だよね? それがだんだんエスカレートしてくるのは当然といえば当然で。
…80にもなって、もう変わらないよ。」
「そう。生徒と同じで。要求に応えていると、もうちょっと大丈夫かなっていくらでも押してくる。」
その一方で、ももちゃんは、私のしたいことは何? と聞いていくる。
その問いに私は答えられない。答えられないまま、また母の話になっていく。
「ちょっと共依存的だよね。」
共依存、の言葉に私は反応する。ムッとしながら聞き糾す。
「共依存って、母の問題が私の問題になっているっていうこと?」
「そう。さっきからずっとお母さんの話をし続けている。ずっとお母さんのことを考えている。」
「お母さんとのキョリを取ろうとするなら、まず、お母さんのことを考えるのを止めなきゃ。」
「今日、家を出るとき、ドアを閉めて、『やったー!』って思った?」
「…いや、少しだけ罪悪感があった。」
ももちゃんは、ニヤリとする。
「もう、お母さんの術中にハマってるね?」
「今、自分のしたいことが分からなくなっているからお母さんのことばかり考えてしまうんだよね?」
「お母さんとのキョリの問題と、自分にとってゲシュタルトって何?という問題と、…結局は同じことだよね?」
気がつくと、私はももちゃんの言葉を、自分の内に落とし込むようになぞって…反復していた。
自分のしたいことが分からなくなっているから、母のことばかり考えてしまっている…というのは、なんとなく理解できた。
母とのキョリの問題と、私にとってゲシュタルトって何? という問題が同じこと?
その時はまだよく分からなかった。
だけど「今日はここで終わっていいですか?」と聞かれて、もうこれ以上、自分の内に響かせる言葉はないような気がした。
今日受け取った言葉を、じっくりと響かせたい気持ちで「はい、いいです。」と答えた。
「ゲシュタルトは被害者の立場に立たない」という実存主義の有りようを、私は気に入っている。
ワークを受けているときに、「出来ない」と表現したことを「しない」と言い直すよう促された時もあった。
被害者の立場に立つことで「責任を取らなくて済む」利点がある、とももちゃんは言った。
けれど、加害者の立場に立つことで「自分が世界を創り出している」という位置に立てる、と。
ああ、私が母のせいで何か自由を奪われていくような閉塞感に埋もれていたのは、「被害者」の立場に立つせいだ。
それを許していたのは、私自身に他ならない。
私は私のしたいように生きていっていい。
母が夜ひとりが辛いというなら、誰か人を雇って、一晩を過ごす算段を付ければいい。
ひと月のうち、家を空けるのが1日や2日、私がそうしたいのなら、そうすればいい。
私の学びを私が育んでいくことをやめなくていい。
ああ、そうか。
私が私でいられるようにする術(すべ)が、母とのキョリであり、ゲシュタルトなんだ!
…ここまで書いてきて、そう思った。
けれど…と、私の疑念は続いていく。
それはゲシュタルト、なのか、ももちゃん、なのか、と。
アドバンストレーニングコースを終えたぐらいで、ファシリテーターによってその前に座りたくなるときとそうでもないときとがあることに気づいた。
最初はワークを受けたくなった人でも、だんだんとそうでもなくなっていった場合もあった。
対峙する、とは、そういうことかもしれない。
お互いの有りようが、如実に感じ取られてしまう。…それも、一瞬で。
だから、そういう意味でも、ももちゃんの瞳に何が映し出されているのか、分からなくて私にはある種怖かったし、
私が気づいていないどんな私が存在するのか、それも少し怖かった。
けれどいつ頃からか、ももちゃんの瞳には、いいも悪いもなく、ただその人の有りようだけが映し出されているような気がして。
ももちゃんは触媒のように働きかけるけれど、どう変化したいか、変化したくないか、それはその人に任されているだけのような気がして。
だから、ももちゃんの瞳に映るもののことなど、気にすることは何もないと分かった。
私も変わるし、人も変わっていく。
ああ、この人のワークは余り受けたい気がしないなあと思ったとしても、もしかすると、経年変化があるかもしれない。
それぐらいの「幅」を持たせた方が豊かな気がする。
年を重ねることのある種の「楽しみ」という意味で。
質疑応答の時間に、ももちゃんは「事実は、事実として点で存在するけど、それをつなぎ合わせる(=「物語」)ことで、フィクションになる」と言った。
それから「ワークをする人がファシリテーターとの関係で何を創り出そうとしているのかを見ていく必要がある」ということも。
「その人が見ている『図』ではなく、『地』に潜む真の課題を見ていく必要がある」とも。
しかし、それも、ファシリが誰か、が大きく影響するような気がする。
あるいは、今、ここで、どんな状態でいるファシリか、が。
…そうね…。
私のカウンセリングルームに来られるクライエントさんに、私がどんな風に「感じられるか」ということにも繋がっているね。
そこで切り結ぶことができる「場」をひとつでも多く創り出すためには、何が必要なんだろう…?
私はそんな風にも考える。
自分ではどうにも出来ない、自分自身の有りようが生み出す私自身の「感じられ方」を手探りで糾そうとしているのだろうか…と。
画像は、今年のGW明けに、母と杏樹(アンジー)を連れて行った伊勢の夜明け。
昨年の琵琶湖の夜明けが思い出されて、
今年行けなかった、3月の琵琶湖のスーパーバイズ合宿を想いつつ、
一方で、これ(=伊勢の夜明け)はこれでいいものだ…と感じている私がいました。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
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