まずは「システムズ・アプローチ」の簡単な説明。
「『システムズ・アプローチ』は『心理療法』ではない」と話し始められました。
2つの特徴があり、1つは「社会構成主義」。
これは、1960年代にピーター・エルバーガーの『現実の社会的構成』という本から始まり、「現実」とは人があることを「認め」、それに「意味づけ」し、それを「言葉で表現(コミュニケーション)する(=共有する)ことでできあがる、とする考え方。
もう1つは、「コミュニケーションの相互作用」。
東先生は、クライエントが来られたときに、「クライエントが来る」と思わずに、「『枠組』が来る」と思われるのだそうです。
一瞬、え?となりますが、聴衆の驚きをよそに、その「枠組」には4つある、と話がどんどん進んでいく。
第1の枠組は、「クライエントの認知的な枠組」。
「認知的」というのは、その人が信じている信念体系。
比較的大きな○の円。この中に、これまで生きてきたその人の記憶が全部あるとして。
その中に、いくつのもの小さな a があって。
この a(スモール・エー)は、たとえば「水溜まりでこけた」できごと。「自分はドジだ、ダメだ」という「意味づけ」が導かれる。
また別の a は、たとえば、「お金を落とした」できごと。「自分はドジだ、ダメだ」という「意味づけ」が導かれる。
また別の a は、たとえば、「財布をなくした」できごと。「自分はドジだ、ダメだ」という「意味づけ」が導かれる。
…というように、これらの a がまとまって、A(ラージ・エー)となり、「私はドジでダメな人間」「私は生きていけない」という「意味づけ」が導かれる。
あることを認め、意味を与え、大きな枠組ができあがる。この枠組が「作られた現実」。
そして恐ろしいことに、その枠組から過去をチェックし始める。
するともう、a のことがらしか、その人には認知できなくなる。
「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」の立場を取るセラピストは、b(スモール・ビー)に注目する。
それは、「ドジでダメ」でない自分を表すできごと。
それら b をいくつも挙げて、B(ラージ・ビー)を導き出す。これは「私はドジでない」「私はなんとかやっていける」という「意味づけ」となるもの。
次にセラピストは「AとBの揺らぎを作る」ことに専念する。
この時、セラピストは決して「あなたはドジではない」と言ってはいけない。「そんなことないですよ」とクライエントは振り出しに戻ってしまうから。
ああ、そうだよね…。と感心してしまいました。
カウンセリングに来られるクライエントさんに私がやっていることは、自己認識の「枠組」を変えることだ!
自分を褒めたり、「何があったら嬉しいか」探しも。
それは、私が私を救う方法ではあったのだけれど。
それを見事に整理していただきました。
この枠組を成立させるためには、「クライエントの言うままに『こういう行動はドジである』という価値観に、セラピスト側が染まっていかないこと」が条件となる、ということも話されました。
第2の枠組は、「クライエントの関係の枠組」。
これは家族療法として、複数人の同時面接でしか分からないけれど、家族間のコミュニケーションの相互作用を見るのだとか。
クライエントがひとりの場合、家族のことを話し出したとして、セラピストは同じようにクライエントの家族のことを考えてはいけない。
そうすると、クライエントの話に巻き込まれてしまう。
クライエントの話す家族像は、あくまでもそのクライエントが見る家族の姿。
セラピストは目の前のことに集中する。(クライエントは、そんな風にその家族のことを見ているのだなあ、と受け取る、という意か?)
第3の枠組は、「セラピストの認知的な枠組」。
カウンセリングとは、クライエントの認知的な枠組と、セラピストの認知的な枠組が織りなすドラマ。
私たちセラピストが、何らかの価値観を持っていることは、当然、クライエントに影響する。
セラピストが持っていて一番役に立つのは、「問題など、どこにもない」「問題な家族はいない」という枠組。
「問題」は全て「作られたもの」。
クライエントと同じくセラピストも「問題」と思うと、ジョイニング(=波長を合わせること)は、たやすいが、本気でそう思うと巻き込まれる。
セラピストは、クライエントが「○○という世界に生きている」という認識にとどめておく。
第4の枠組は、「(家族の枠組にセラピストが加わることで始まる)治療関係の枠組」。
これにはざまざまなパターンがあり、セラピストは「パターン・チェンジ」を行っていく。
「ひとり枠組チェンジ」(=セラピストがひとり勝手に設定する)も、あり。「教育的枠組チェンジ」とも言える。
非行など、大きい問題を抱える場合、比較的「変わりやすい」テーマで「問題」設定し、「人が乗ってきやすい枠組」を作ってしまう。
そして、少しの変化を起こすきっかけとする。
さて、最初の「クライエントに『変化』に向かいたい気持ちと『不変化』のままでいたい気持ちの葛藤がある」話に戻って。
この場合、セラピストの構えとして必要なのは、「変化=OK」「不変化=OK」、そして「葛藤=OK」。
理由は「意味なんて、どうどでも張り替えられる」からだそう。
「変化」と「不変化」の間を揺れ動く、その揺れ幅を、カウンセリングによってさらに広げる。
そして、どちらの揺れの上限値も、突破すると「問題が問題でなくなる」。
ご講義を受けて、4つの枠組のうち一番大事なのは、第3の「セラピストの認知的な枠組」ということになるのかなあと思えました。
セラピストがどれだけ自分の価値観を捨てられるか。
東先生も、これまでのご自分のカウンセリングを振り返って、「上手くいかないケースはセラピスト自身が問題を作っていた」とおっしゃいました。
そういう意味でも「オープン・ダイアローグ」に注目しているようなことを言われていました。
非常に興味深い90分のご講義でした。
あ、忘れていました。
表題にした「治療的二重拘束」とは、「変化してもいいよ」「変化しなくてもいいよ」と、クライエントがどちらでも選べるようにすること。
「どっちのころんでも、あなたはOK」という枠組を作ることだそうです。
けれど、特に「変化」の方向には、「え、そうしたいの? でもなかなか大変だよ」と上手くいかなくても大丈夫なように、丁寧な関わりをすること。
同席されていた福島哲夫先生が、「拘束、と言いつつ『解き放ち』、ですね」と評されたのが印象的でした。
引き続いての大妻女子大学の福島哲夫先生のお話も興味深くて。
でもまあ、今日のところはここまで。また明日。
画像は、一昨日に訪れた、須磨の海岸。
視界の開け方は、「ああ、なるほど、そうか」と思ったときの、目の前がぱあっと開ける感じに似ています。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
あなたはあなたのままで大丈夫。ひとりで悩みを抱え込まないで。
明けない夜はありません。
電話番号:090-7594-0428
所在地 : 生駒市元町2-4-20
営業時間:10:00〜19:00
定休日 :不定休