ある程度の人数も集まって。
いよいよ、ドキドキの読書会が始まりました。
私も当日に向けて、「第5章」を読み始めたのはいいけれど、
なかなか重厚で、うっと詰まりました。
…久しぶりに読む固い文面。やたら注釈がついて。
それは、この文章がもともと「博士論文」だから。
その昔。
私は13本の授業実践の論文を書きましたけれど。
私の書くものは、まるで「引用」「注釈」がなくて。
学術論文は、「引用」してナンボの世界だよ…と言われた、ような。
とにかく、いろんな文献に当たりました、が論文には必要で。
それから考えると、上野千鶴子の『ケアの社会学』は、非常に丁寧に「注釈」「引用出典」が連ねてあって。
だからとても誠実なお仕事をされているのが分かるのですが。
注釈部分で、彼女が根拠なしに物を言っているのではないことが明白で。
注釈部分にも「目から鱗!」が続出して。だから、一向に読み進められない、事態が生じて。
ああ、これは皆さんにとって、読みづらい文章だろうな、とも思えて。
いっそ、「第5章全部を読んでこなくていいですよ〜」というアナウンスを流そうか、とも思ったけれど、
でもまあ、「難しかったー」「読み切れんかったー」という生の声を上げてもらうことも大事な気がして。
逡巡した挙句、何もアクションせずに当日を迎えたのでした。
11月10日。
準備会には来られなかったNくん、初お目見え。
真面目に全部読んできたとのことで、一同どよめく。
開口一番に「女性の介護者のことばかりで、男性介護者については書かれていませんね」
おお! 男性介護者ならではの、鋭い指摘。
そうですね。
世の中の実態が男性介護者はほとんどいない、ということと、この本が刊行されたのは2011年だから、既に10年近くのタイムラグが生じているわけですね。
2019年現在は、「ヤング・ケアラー」の問題も取りざたされています。(10代、20代の祖父母介護)
まあ、ざっくりと読んだ感想から始まって。
自分の、これまでの来し方振り返りもあったり。
私も、ね。
母との別居に至るまでの話をして。
N君の言葉が印象的でした。
「…つまり、自分をないがしろにするのではなくて、自分を大事にすることが、お母さんの考え方を変えることになり、お互いが『いい状態』になれたのですね。
決して、誰かのため、とか自己犠牲からはそういう『いい状態』は生まれない気がする…。」
ホント、そうですね。
「自分さえガマンすれば…」は何も生み出さない気がする。
私が母の付き添いで病院に行ったとき、上手く状況を説明できない母を前に、主治医が私にばかり説明を求めたこと、
そんな体験から、私が、母は私がいるからいいけれど、私が高齢になって、具合が悪くなって、上手く状況説明できなかった時にはどんな扱いを受けるのだろう? と思ったことを皆さんに話したら、こんな風に言った人もいました。
「上野千鶴子さんが最初からこだわっているところが、『誰にとっての介護か?』という問題で。
どんな介護を受けたいかは、誰が決定するのか? を問題にしているように思う…。」
なかなか奥深い話が次々と展開されていきました。
出たお話の全体像は、参加者全員の同意を得てから、また、「第2回読書会」の告知文の中に登場する予定です。
次回は12月1日(日)。10時から。単回参加もOKです。
興味が湧いたら、どうぞご参加ください。
画像は、前日の9日に訪れた平城宮跡の「大極殿正殿」。
久しぶりにアンジー連れて、岡山から来られたKさんを案内して、新大宮駅から歩いたのですが、
本当にいいお天気でした。