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視野のうちから自分自身の姿を消す〜折々のことば・鷲田清一#1638〜

2019/11/19
視野のうちから自分自身の姿を消す〜折々のことば・鷲田清一#1638〜
朝日の第一紙面。11月13日。土屋恵一郎の言葉。

面をつけることは、視野のうちから自分自身の姿を消すことである。


鷲田清一の解説。

そのことで、能の演者は大地に確(しか)と立つ自らの身体を失って、観客の視線にさらされ、その中を心もとなく漂うばかりになると、自身も能に親しむ法学者は言う。
こうして受動的で不安定な状態に置かれた演者は、「身体感覚の浮遊をしっかりと支える」べく、腰を入れ、身を前に傾ける。
生とは受難の連続。
それを「押し返していく」レッスンとして舞はあるのか。『能』から。


「視野のうちから自分自身の姿を消す」
それは、どれほど「恐ろしい」ことであるのか。

人はものを認識するのに、90%は視覚から、と聞いたことがある。
五感は他にもあるのに、その偏りは、いかに目からの情報量が多いか、を示す。

ものの形、色。
それらを認識するだけでなく、その場にいる自分自身の姿をも「見る」ことで、「見る」主体としての私を認識する。
そうすることで、今見ている「世界」に属する私の「立ち位置」を確認する。

「世界」とは、私も含まれての世界。

死を恐ろしく感じる人がいるのは、今見ている「世界」に自分がいない、ことを想像するからだと思う。
私がいなくても「世界」は成立するとなると、私の存在はどういう意味を持つのか…何の意味も持たないのではないか…
そんな風に思考が進んでいくこと自体に恐怖を感じるのではないか。

私がいなくても世界は存在する。

その世界の中で、私はどう立つのか。
それは、私自身の存在をそのまま差し出すしかない、ような。
いいも悪いもなく、私は私だ…!でいるしかないような。
それには、自分自身の存在が何に依っているのかを自分の内に持っているしかないような。

面は、死後の仮想世界を彷彿とさせる…働きを持つものかもしれない。

「『身体感覚の浮遊をしっかりと支える』べく、腰を入れ、身を前に傾ける」。

…そうか…「前のめり」になるしかないか…。

いや、「前のめり」とは違うか…「前のめり」は腰が浮いている気がする。

 

どっしりと。腰を据えて。

けれど、見た目は軽やかに、と思うのは、「粋(いき)」でありたいから、かもしれない。

…多分、演歌が嫌いで、ボサノバの軽やかさに魅かれる、私の特性、かもしれない。

 

画像はこの前の日曜日のアンジーとの朝の散歩で見かけたダリア。

見上げるような高い位置、青い空をバックに、映えていました。

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