昨日は、とある起業塾で知り合った方が、「かみさまとのやくそく」というドキュメンタリー映画の自主上映会をするというので、京都まで出掛けました。
京都駅から嵯峨野線に乗って、円町駅下車。
嵯峨野線自体が、初めてで。…いや、嵯峨野の方には行ったことあるハズなので、忘れているだけだったか…。
円町(えんまち)とも読めないで。
普通でしか止まらない駅なのかどうか、駅員さんに聞くのに「まどかまち」と言ってしまって、「あ、えんまち、ね。」と。
はるさん。
その起業塾が始まって間もなく、二人目の妊娠が分かって。
塾が終わった後、間もなく出産で。
そうですか…あれから2年経つのですね。
「HARUおやこのきずなカレッジ」という、胎教やらお母さん自身の「自分の見つめ直し」を、支援されていて。
その彼女にも会いたくて。
映画は98分。
胎内記憶(2〜3歳の子どもが話すことがある、お母さんのお腹の中にいたときの記憶)研究の第一人者である、産婦人科医池川明さんと、生まれ変わり現象を研究する中部大学の大門(おおかど)正幸教授の子どもやそのお母さんへの聞き取り調査場面を中心に、池川医師や、大門教授の、子どもたちからの聞き取りから考えることなどのお話が随所に挿入されます。
子どもたちの聞き取りとして、まず登場するのが、取材当時小学校6年生の弟くんと中学2年のお兄ちゃん。それから、彼らのお母さん。
この弟くん、2,3歳時から、服のボタンを嫌がって。
異常なほど、ボタンを怖がる。
殴られ、蹴られて、外に出される…記憶を言い出す。
3歳の時に、「しゅうようかん」にいたんだ、とポロッと言う。
「しゅうようかん」という聞き慣れない単語にお母さんはハッとする。
…それは、アウシュビッツの収容所のことだった…。
そんな「前世記憶」がある弟くん。
胸ぐらをつかまれ、殴られ、蹴られした際に、目に入ってきていたボタン。
…ボタンは、アウシュビッツの役人の、制服のボタンだった…。
弟くんの話してくれるままに聞いているお母さんに、アウシュビッツの映像が浮かんでくる。
…穴を掘って、埋められた場所まで「分かった」そうな。
アウシュビッツまで行って、確かめた、訳ではない。
けれど、我が子が話す、その前世記憶を、お母さんは信じることにした。
それで、ボタンを嫌がっても、人の中に出て行きたがらなくても、全部受け入れることにしたそうな。
お兄ちゃん。
生まれたときには、家族はマンションの5階に住んでいた。
生まれて間もなく引っ越したのに、そのマンションにいたお母さんのお腹の中に入った記憶を3歳ぐらいの時に話してくれたそうな。
マンションの5階、とハッキリ。
「どうして、お母さんのところに来たの?」の問いかけに、最初は嫌がって答えてくれなかったそうな。
あとで、ボソッと「…かわいかったから。」。
池川医師は、このお母さんを選んだ理由というのは割と単純で、「優しそうだったから」「可愛かったから」というのがほとんど、と。
…映画には出てきませんでしたが、確か『子どもは親を選んで生まれてくる』という池川医師の本には、「優しそうだったから来たのに、違うじゃないか!」と抗議する子どもさんの話も出てくるような記憶があります。
そのお兄ちゃん。
弟くんが宿ったときに、お母さんに、ボクも手伝うから産んで欲しい、と言ったそうな。
…確かに、生まれた弟くんの面倒をよく見た。
自分が友達のところに遊びに行くのだって、弟くんをおんぶして、おしめも持って遊びに行ったそう。
大きくなって、何かの時に「お兄ちゃんなんか、嫌いだ!」と言われた時に、
お兄ちゃん、泣いて怒って。
その時のセリフが「兄弟になるって約束したのに、ボクが選んだのに、何言うんだ!」。
どうやら、生まれるまえに、兄弟になることを約束して、生まれてきた、らしい。
お母さんを選び、兄弟を選び。するように、人は誰もが、自分の人生のプログラムを「決めて」生まれてくるのだという。
生まれた後に、忘れてしまっているだけで。
人は、人の役に立つために生まれてきた、と話してくれるのは、取材当時9歳の女の子。
雲の上にいて、テレビみたいな画面が沢山あって、それぞれ「お母さん」になる人が映っていて。
そこから、たったひとりの「お母さん」を選ぶ。
子どもたちは500人ぐらいいる。肉体はないけど、魂が。
ひとりの「お母さん」に複数人が希望したときには、優先順位があって、先の人生で早くに亡くなってしまった子が優先される。
そして、トンネルのような中を通って、お母さんのお腹に入る。
自分のやりたいことをやって幸せになるために生まれてきたんだから、戦争はいけない、とその女の子は言う。
そうして、こんな風に「記憶を持って生まれてきた」子どもは、忘れちゃった人に伝えるように言われてきた、と言う。
大仏のような神さまに。神さまは、いつも笑っていて、怒らないそう。
…「大仏のような神さま」は、先の中2のお兄ちゃんも、そんな風な表現をしていたなあ。
池川医師の話。
人は生まれてからが人生だと思っているけれど、胎内記憶がある子どもたちの話を聞いていると、どうやら、受精したときからもう始まっていて、
だから、赤ちゃんがお腹にいるときから、どんな日常を送っているか、が大事で。
お腹にいるとき、もううっすらと、おへそを通して見えているようだから。
赤ちゃんの視覚は生まれてすぐにはないのだけれど、そうすると、目ではなく、別の感覚で感じ取っている、と考えられる、と。
そうね。目でしか見えないわけではない。
映画の後のシェア会では、お子さんが宿ったときに分かった!という方もいて。
その方は、子どもの父親になる人に会った時に、「この人がお父さんになる人だよ」と教えてくれた、とも言われました。
子どもの名前も、その子が伝えてきたそうな。
なんだか、とても不思議でしたが、そういうこともあるかもしれない、とも思えました。
私は…今の時期にこの映画を観ることになった、不思議を感じていました。
少し、子どもとの関わりを、考え直そうとしている時期に。
中2で不登校した子ども。
高校進学を手伝い、大学進学を手伝い、…就職にまで関わってしまった。
いえ、就職は何も手伝わないつもりだったけど、就活に苦戦しているのを見て、起業コンサルの人に紹介された『伝え方が9割』という本を送った。
自分で読んで、面白かったので。
で、その本を話題にして、面接は和やかだったそう。
それで、かどうかわからないけど、採用通知が来た。
少し、ね。
自分の足で歩いた方がいいね。
いえ、自分ではそういうつもりかもしれないけど。
実際はそうではない。
私も、少し、離れた方がいいね。
そう思っていた矢先のこの映画。
…私は、私の親を選んで生まれてきた、とは思えないのだけれど。
子どもは、私を選んできてくれた、と思うのは、心温まる思いがする。
…勝手ね。うん。そうだけど。
大丈夫。あの子は大丈夫。
私を選んできてくれた子なんだったら。
自分の道を歩むように、と願って付けた名前通りに、歩んでいってくれるでしょう。
そんな風に思えたのでした。
画像は、会場となった、円町の法輪寺(達磨寺)。
鮮やかな紅葉がありました。