ゲシュタルトの「全国ファシリテーター集会」が、1月11日から3日間、東京であって。
昨年に引き続き、第2回、なんだけど。
昨年は、引っ越し前で動けなかった。
今年は…と、意気込んで申し込み。
東京に行くなら、少しゆっくりと、東京の友人と過ごす時間を持ちたいと思い。
それで、移動日を1月9日に。
アンジーをホストファミリーに預け。
朝からバタバタする私に、不安げな視線を向けていた彼は、朝ごはんを食べず。
…そうね。一緒に「お出掛け」しても、「預けに行く」お出掛けであることもあるから、ね。
本当に「一緒にお出掛け」が確認できないと、安心できないことを学んでいる。
ママがキャリー・バッグを持って出ると、「怪しい」と。
…おまえ、賢いものね。
不安を感じると「食べられない」のは、人間といっしょ。
住之江公園駅の改札口までホストファミリーさん、ご夫婦でお迎えに来てくださっていて。
階段を上っての1番出口での待ち合わせのハズなのに、と、その心遣いに感謝する。
私の荷物の多さを気遣ってくださってのこと、だと思う。
アンジーは、預けられるのを察知して、クーン、と鳴く。
私にしがみつこうとする。…ママ、抱っこと、要求する。
「大丈夫だよ、アンジー」と抱っこしてささやく。
…大丈夫だから。ママまた迎えに来る。その間、お友だちと遊べるよ。
そうして預けて、新幹線に乗り込んで、東京へ。
約1ヶ月ぶりに友人に会う。
ああ、来れた、と改めて思う。
約1年、「まるで動けなかった」後遺症がまだ残っている。
翌日、休みの取れなかった友人は仕事に行き、私は鎌倉へのひとり旅に出かけた。
以前、友人と一緒に鎌倉には行っていた。
その時は、鶴岡八幡宮と、鎌倉大仏、明月院、と。
今回は、その時とは別ルートで行ってみたかった。
JR新小岩から大船まで。それから、モノレールに乗り、江ノ島まで。江ノ島から鎌倉へ。
江ノ電に乗り込む前に、ちょっと、その辺りを歩こうと思った。
そしたら! 海の向こうに富士山が見えて。
ああ! と思った。
こんな「想定外」の出会いを求めて、私はこれまで動いてきたんだった! と。
しばらく海岸沿いに歩いて。
十分に堪能してから、一軒の土産物屋さんに入った。
そこで、貝殻づかみ1回300円、をやって、貝殻をゲットし、
お兄さんに江ノ電沿いのどのお寺がいいかを聞いてみた。
お兄さんはお寺の紹介はしてくれなかったけど、「稲村ヶ崎」駅で降りるといいよ、ということと、
鎌倉の「鎌倉歴史文化交流館」がいい、と教えてくれた。
お礼を言って、江ノ電駅までもう少し歩いていくと、「しらす丼」屋さんが見えた。
お昼には相当早かったけど、お店に入ることにした。
そこの大将におススメお寺を聞くと、竹林が綺麗な「報国寺」を教えてくれた。
江ノ電に乗って、「稲村ヶ崎」駅で降りて。
目の前の海に感動して、写真を一枚。(これが、このコラムの画像)
その写真を撮った時に、近くに男性がいて。
聞くとサーフィン歴56年なんだそうな。
15から始めて、もう71だよと笑って言われた。
今日の波は小さくて良くなかった、そうな。
お写真を撮らせてもらった。
稲村ヶ崎公園に行くと、富士山が見える、と土産物屋のお兄さんに教えてもらってたんだけど、
残念ながら、うっすらとしか見えなかった。
そこも堪能して、再び江ノ電に乗って、鎌倉へ。
お金持ちが自宅を寄付してできた、という「歴史文化交流館」に行き、「永福寺(ようふくじ)」の3Dを見て。
永福寺とは、明元の頼朝が文治3年(1189)に奥州平泉を攻めた後、戦いで亡くなった数万の将兵の鎮魂のために建てた寺院、らしい。
鎌倉後期には、焼失。
3Dで再現された永福寺は、かなり大きなものだった。
それから、報国寺に向かい。
歩き始めたけど、これはちょっと、と、思い直し、バスに乗り。
バスで…10分あまり。
竹林は…見事だった。
午後3時半過ぎ。
もう日差しは夕方のものになっていて、竹の合間から差し込み。
外国人ばかりが目立ったような。
ご朱印をいただく時に、奈良から来たと告げれば
「奈良に比べたら、鎌倉はたいしたことないでしょう」と言われ。
「いいえ、こちらにはこちらの良さがあります」と返し。
友人の勤める都庁に5時に約束してたから、急いで帰途に着いた。
都庁で入館手続きを取り。
友人のいる外国人相談窓口は、35階。
目の前まで行ったけど、5時を少し過ぎていたから、部屋には入れず、でした。
まあ、いいか。
と、待ち合わせ場所にしていたスタバで待つことにして。
コーヒーを飲みながら、その日1日の、あれこれをじっくり思い出す時間にしたのでした。
楽しかった!