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「成熟」を求めるサポート〜第2回全国ファシリテーター集会でのロバート・W・レズニック博士の1日セッション(2)〜

2020/01/13
「成熟」を求めるサポート〜第2回全国ファシリテーター集会でのロバート・W・レズニック博士の1日セッション(2)〜
午後からは個人ワークがあって。
そのワーク後の、質問に答えられた、レズニック博士の言葉を拾っていきます。



今のワークで、私の中で、いくつか「図」になって現れてきたものがあります。
クライエントは「難しさ」を問題にしていた。
…状況がどのようなものであれ、「どのように」対処するか、が大事です。

「状況がどんなに酷いか」にいたら、何もできない。
具体的な「図」が欲しかったわけではない。
自分の側に目を向けて欲しかった。
自分の外側というのは、愚痴を言うとかしかない。

私の場合、1セッションは、50分〜60分。

状況に合わせたことをやるのはBEST。
しかし、誰になっても、習慣になって同じようにするのは良くない。

オープンな形でのサポートを、あなた自身の足で立ってくださいね、というようなサポートを。
一歩先に進みなさいというサポートではなくて、成熟してくださいというサポートを。

私が興味を持つのは、箱から出ることがどんなに難しいか、ということ。
どういう難しさを感じているかを味わっているのは、私ではなくクライエント。

いつもクライエントには驚かされる。
「箱から出たら、あなたは私を見捨てるでしょう?」と言うクライエントもいるし、「箱から出たら、私はあなたを殺すかもしれない」と言うクライエントもいる。
それは、私でなく、クライエントしかわからない。

個人ワークの2つ目の後の、質問に答えたレズニック博士の言葉。

積極的傾聴(アクティブ・リスニング)をしている時は、私は「ここ」にいない。
(それとは違って、私のしていることは)ただ聴くというより、もっと満たされた感じ。知的にも、感情的にも、身体的にも。

パールズが残したことは、実存的な不安というのは、あってもいいものだ、ということ。
それというのは、「乗り越えて」いくものではない。「それと共に生きていく」ものだ。
「死ぬのが怖い」「命が終わるのを恐れる」というのは、何かおかしいんじゃないの?
それは、動物にとったら、あたりまえのこと。

エンプティー・チェアも、オペラも…「気づき」を得るための方法。
ベルリンで働いていた時、フリッツは演劇をやっていた。
演劇的なテクニックを取り入れた時もある。モレロのサイコドラマからも。
「気づき」が得られるのであれば、何でも。


(「ワーク1」「ワーク2」を現象学的な言葉で説明してほしい、という、ももちゃんの要望に対して)
「ワーク1」は、子どもの時に経験したことが自分の中にあって、今何をするか、を決めている。
「批判的なことを口にすると怒らせる」という経験が、「性格」を形作っている。
「ワーク2」は、可能性でしかない想像を浮かべる。
しかし、身体の中、彼女の気持ちは、(想像したことが)あたかも起こっているかのような反応を示している。
「恐怖感」は、実際に起きていることへの現実的な反応であり、これは正常な反応。
(それに対して)「不安」は、映像、想像に対する怖れで、行き場はない。
「不安」は、「恐怖」と同じ反応を示すが、行き場はない。実際に起こっていないことへの対処はできない。
だから、身体の反応として、「行き場のない反応」を示していた。

確かに、実存的な不安も行き場がない。
それは「受け止める」しかない。
私たちは永遠に生きる存在ではない。
「死ぬ存在だ」と気づかせるものは、ドキドキさせるが、病的なものではない。

宗教が多くの人の心を惹きつけるのは、実存的な不安に目を向けるから。
自分が死ぬ存在であることから目を逸らさないから。

死後の世界とか、永遠の命を信じている人は、死と向き合う必要はない。
しかし、そう信じることで、その人にいい影響を与えることもある。


フリッツがエンプティを使ったのは1960年代半ばごろ。
演劇的なものを使ったのは1970年代。
ローラはテクニックはあまり使わず、分析的だった。
誰でも分析的な部分は持っているが、ローラはもっと分析的だった。
フリッツは、あまりそうはしなかった。

フリッツが言いそうなことは、「あなたにとって、その座り方は、意味があることのようだから、話してくれないか」。
ローラが言いそうなことは、「あなたのその座り方は、人を避ける座り方だよ」。
ローラは噛み付いたら離さないブルドックみたいだった。(こだわりが強い、という意味か?)

テクニックとは、自分の理解からくる創造性の産物。
エンプティチェアも、実験の1つ。

(フリッツは気づきを得るための技法として、最後にどれかに辿り着いたのか? つまり、技法に上下を感じていたのか?という私の質問に対して)
そうではない。技法に上下はなく、どれも等しく、実験として試みていた。

感情は、怒りであれ悲しみであれ、健康的なもの。「現実」に対する反応である時には。
「現実」とは、実際に五感で感じることのできるもの。
感情は、「現実に起きていることに、どう向き合うか」に連れて行ってくれる、大事なもの。
「こういう風にしたらいいよ」に連れてくれるものではない。

「バランスポイント」(=バランスの取れるところに居ようね)と、「セットポイント」(=いつも同じところ)があって。
感情は「バランスポイント」。エネルギーをコントロールする行動の方向性を示してくれるもの。

全ての感情は、それ特有の方向性を示す動きを持っている。
「怒り」は、自分が危険に晒されている時に必要なもの。
極端な怒りである「激怒」は、自分の能力が欠けていることを認めたくない時に出てくる。

私は身体から何かを見つけようとはしない。
ただ、身体に変化が生じた時は、それはどういう意味があるのかを聞く。
全ては「気づき」に向かっている。

ローラは動きを見ていた。端から端まで歩かせて、その身体の動きを見ていた。
もともと、クラシックピアノ、ダンスの素養があって、そこからヒントを得ている時は良かった。

衝動はいつも健康とは限らない。しかし、それに気づいた時は健康。
衝動に駆られた時、もっと全体を見渡すことが必要。自分が何を必要としているか、に気づくのに必要。
どういう衝動が出てくるかを知るのは、役に立つ情報を自分にくれるという意味で必要。
しかし、衝動に駆られてはいけない。
(一方で)衝動を「邪魔なもの」として排除しようとするのは良い考えではない。

鵜呑みにしたものは、言語獲得前であることが多い。


レズニック博士の言葉は、とてもシンプルで、明快でした。
あくまで、その人が自分で判断するのを待つスタンス。
ただ、判断材料となる「気づき」を得るための方法としての「対話」が、そこにあるような気がしました。

画像は、9本のビデオが収められたUSBを持っての記念撮影。

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