昨日、ある人から紹介された論文があって。
昨日のうちにざっくりと、気になった箇所を抜き出して。
朝、目覚めた時に眺めて。
そこから浮かんできたものを、その人に返して。
なんてことをやっていたら、もう起きてから1時間経っていて。
あ、もう明るいや。
…そういえば、昨日が夏至だった、と思い出して。
『深呼吸の必要』を開く。
今朝は…「鉄棒」。
「鉄棒」 長田弘
誰もいない冬の小公園の片隅にある一本の
鉄棒はーー知っているだろうかーーほんとう
は神さまがこの世にわすれていった忘れもの
なのだ。ハッとするほど冷たい黒光りした鉄
棒を逆手に握って、おもいきり地を蹴ってみ
れば、そうとわかる。一瞬、周囲の光景がく
るりと廻転したとおもったら、もうきみの身
体は、いつもの世界のまんなかに浮かんでい
る。
ふしぎだ、すべての風景がちがってみえる。
ほんのわずか目の高さがちがっただけで。息
をしずめ、順手にもちかえて、きみは身体を
廻転させる。もう一ど。またもう一ど。する
と、ありふれた世界がひっくりかえる。電線、
家々の屋根、木の梢、、空の青さが、ワーッと
こころにとびこんでくる。空気はおそろしく
冷たいが、鼓動は暖かい。自分の鼓動がこの
世の鼓動のようにはっきりかんじられる。し
っかり握りなおす、神さまがここにわすれて
いった古い鉄棒を、きみは世界の心棒のよう
に。
鉄棒、という語を耳にしたら、私は、今はない生家の裏庭の鉄棒を思い出す。
狭い庭の片隅に父が作った鉄棒。
私は幼稚園の時に、尿にタンパクがおりる、というので腎臓病を疑われて。
それで、1年間、療養生活。
走ってはいけなくて。
醤油も、全然美味しくない醤油で。
おとなしくしていなさい、ということで、外遊びは禁止だった。
結果、まるで運動能力が発達しなくて。
鉄棒なんてまるでダメで。
他の子は、ふつうにくるくる廻っていた、というのにね。
それで小学校3年生の時だったか…父がいきなり「鉄棒作ってやろう」と言って。
瞬く間に「鉄棒」がそこにあった。
まあ、「逆上がり」ができなかったもんで。
それから「特訓」が始まって。
…うん。泣きそうだった。
「お前のお尻はそんなに重いのか」などと言われ。
父にお尻を持ち上げてもらって、廻転する。
何度も何度も繰り返して。やっとのことでできるようになって。
まあ、嬉しかった。
とりあえずは。体育の時間、怯えなくてすんで。
だけど、廻るのは1回だけ。
そんなグルグルと何度も、は無理。
世界がひっくり返るような経験は、一度で充分。
それだって、三半規管がおかしくなるようで、フラフラした。
私は…車酔いもよくした。
「一瞬、周囲の光景がくるりと廻転したとおもったら、
もうきみの身体は、いつもの世界のまんなかに浮かんでいる。」
ああ、これは分かる。
世界の端にいるのではなく、いきなり自分が世界の中心になる。
私と鉄棒と。
最初は。怖くて目をつぶっていた。
世界の中心にいる、どころの話ではなくて。
なんでこんなものがあるのか、と思っていた。
…こんな、恐ろしいものが。
そのうち、慣れてきて。
ほんのすこうしずつ、目が開けられて。
それから。へえーと思った。…世界がひっくり返るんだ!
自分の鼓動が感じられるほどに廻転はできなかった。
一回やって、もう休むんだから!
見慣れた風景が回転する、という経験は。
何を意味するのだろう?
まあ、子どもの時には、そんなこと、考えもしなかったけど。
でも逆さまになって、その時見た空が、とても青かった、ことは覚えている。
空の青さ、を発見したのは、その時かもしれない。
画像は、茶筅で有名な、奈良・高山の空。