前回の桃月句会から、もうひと月経ったのか…とちょっと驚きながら、
会場の松前旅館へと急ぐ。
午後6時半過ぎ。
1ヶ月前とは違って、また暮れ泥み方が遅くなっているような。
そうそう。この時間、もう少し暗かったよね。

ほら。写真を見ても。まだ明るい。
こんな角度から撮ると、小さな猿沢の池が、やたら広く見える。
アンジーがやたらと寄り道したがるのを牽制しながら、旅館に着く。
…6時半に駅に着いたのに。ほら、20分以上掛かったよ。
今日は。「季語に思いを託す」という表題で。
「五月雨(さつきあめ・さみだれ)」と「五月晴」の句を、倉橋みどり先生、用意してくださった。
テーマは「季語の手ざわり」とその他の組み合わせを味わうのだという。
うーん。「季語の手ざわり」か…。
言い得て妙だな、と思う。
なんだか、そろそろと「季語」に触れに行って。
その感触に「おお!」と驚いて。
これはいったい何? とおもむろに考える。
俳句表現の原則は「気持ちは言わないで匂わせる」とおっしゃったから。
触れた感触から、自分の感覚、ひいては作者の感覚、に想いを馳せる。
「五月雨」。旧暦6月に降る雨。だから、いわゆる梅雨。
「五月晴」も、だから本当は梅雨の合間にちょこっと見える晴れ間、なんだけど。
「五月晴」の誤用(ピーカンの青空)が市民権を得ていて。それでそれも認める辞書解説に変わったそうな。
(えっと…抜けるような青空のことを、どうしてピーカンっていうんだっけ? 以前にも調べたことがあるような気がするのだけれど。。。)
※ピーカン…快晴を意味する映画業界で使われている撮影用語。語源はオペラ曲「ある晴れた日に」のピンカートン、「カンカン照り」という言葉に由来、など諸説ある。なお終戦後の1949年発売開始のたばこ、缶入りピースから来たという説もあるが、芸能界では戦前から使われていた。(Wikipediaより)
「五月雨」の句は、芭蕉の二つの句から始まって。
五月雨の降のこしてや光堂
五月雨もここだけは降らないでいたのだろうか? 色褪せないで光り輝く光堂は、五百年の時を経ても、そのままの姿で建っていることよ。(拙訳)
降(ふり)に雨が「降る」のと歳月を「経る」こととを掛けての言葉。
さみだれを集めて早し最上川
さみだれを集めて、こんな速さになるとは! 最上川の急流は思った以上のものだったよ。(拙訳)
「さみだれ」とひらがな表記が効いている、と思う。
「さみだれ」的に、と言えば、ぱらぱらとまばらになって、その状態がしばらく続く様子。「さみだれ(式)解散」とか。
その「五月雨」を集めたら、こんな急流になるのか! という驚き。
それは最上川の濁流のものすごさを体感した者でないとわからないものかもしれない。
「涼し」から「早し」への転換話も、高校の授業で触れたエピソード。
「五月雨」の句六句と「五月晴」の句八句から一句ずつ選んで鑑賞を言う段になって。
私は一句に絞りきれなかったので、二句ずつ。
駅前のだるま食堂さみだるる 小豆澤裕子(あずきざわ・ゆうこ)
だるま食堂って全国どこにでもある名前の食堂、だそうな。
その、何の変哲もない(みどり先生曰くの、まあまあなお値段で、まあまあな料理を出してくれるお店)、けれど「昭和」の匂いのするお店が、
雨に降り込められたようにして建っている。
『羅生門』の「雨に降り込められた」「下人」が、見ていた、雨は、もっと激しかったような気がするが、
それとは違って、もう少し、穏やかな降りの雨。
けれど共通するのは、雨が周囲を遮断して羅生門だけを浮き上がらせていた、ように、
五月雨がだるま食堂を包み込んで、そこだけぽっかり浮き上がらせている、ような。
「さみだるる」と連体形止めなのは、さみだれに包み込まれた状態を切り取った、から、のような気がする。
何か、映画のワンシーンを見るような一句。
五月雨や庭を見ている足の裏 立川左談次(たてかわ・さだんじ)
座敷に寝っ転がって、庭の方に足を向けていて。
ふと。ああ、オイラの足が庭を見てるぜ、みたいな。
作者は噺家だそうな。
その洒脱な雰囲気が醸し出す可笑しみが、この句の命かも。
五月晴パセリの鉢にパセリの芽 東亜未(ひがし・あみ)
梅雨の晴れ間に小さな植木鉢を見ると。
なんと! パセリの鉢にパセリの芽が! って感じ、かな。
こちらは長雨に閉じ込められたような時間を過ごしていても、パセリの方は着々と生育していて。
そりゃあまあ、パセリの芽はパセリの鉢からしか出ない、だろうけれど。
「食べ物」だったパセリが「植物」だったことに気づいた一瞬、だったかもしれない。
新聞に包みきれない五月晴 藤田守啓(ふじた・もりよし)
物を郵送するとき、新聞に包んだりするよね〜って話から入って。
何か、送ってこられた、んだろうか…とか。
私は。どちらかというと、この句を読んだ時、「送り手」の気持ちがふあっと入ってきて。
貴重な五月晴も一緒に送りたいのだけれど。
これは新聞には包めなくて。
ああ、楽しかった!
はい。また来月、お願いします。
画像は、松前旅館さんに置かれていた仁王像。
亡くなったご主人が彫られたものだそうです。
仁王像と言われても。全然怖さがない、仁王像。
彫られた方は、優しい方だったんだろうな、と思いました。