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憲法のはなし〜「喫茶みりあむ」での今正秀先生のお話 2022年7月2日〜

2022/07/09
憲法のはなし〜「喫茶みりあむ」での今正秀先生のお話 2022年7月2日〜
古い友人のミミさんから「今度、憲法のお話があるよ」と紹介されて参加した、喫茶みりあむでの講演会。
日本史がご専門の、奈良教育大学の今先生が、90分のご講義ふうにお話されました。

語り口柔らかな、そして穏やかな風貌の今先生。
参議院議員選挙前だから、と「憲法改正」についての各政党の考え方をマニフェストからの一覧提示から入り。


自由民主党:3つの基本原理は堅持し、初めて憲法改正への枠組みをさらに強化。変化に応じ「日本国憲法」をアップデートするために力を尽くす。

立憲民主党:現行憲法の基本理念と立憲主義に基づき「論憲」を進める。国家権力を制約し、国民の権利の拡大に資する議論を積極的に行う。

公明党:憲法9条1項、2項は、今後とも堅持する。

国民民主党:「人権尊重・国民主権・平和主義」を守り続けるために憲法の規範力を高めるための議論を進める。

日本維新の会:憲法9条に自衛隊を規定し、攻められないための防衛力を抜本強化。

れいわ新撰組:マニフェストへの記載なし


ふうん。こんな感じなのか、と眺める。
今先生は、「日本共産党の、相変わらずの硬い文面に対して、アップデートだなんて、自民党の言葉は洗練されていますよね」と。
確かに。なんだか、旧態然とした言葉よりアップデートの方が、時代に合わせて、という感じがする。

そんな「前振り」の後、いきなり「戦争を放棄したのは誰?」という問いが出される。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永遠にこれを放棄する。 →戦争放棄
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 →戦力不保持(放棄)・交戦権否認(放棄)

この文面をよく読むと、戦争を放棄したのは日本国民なんだ、と。従って、日本国家は戦争を行ってはならない、のだと。

学生に「戦争を放棄したのは誰?」と問うと、半数は「政府」であると答えるそうな。
そもそもの出発点が違う、との今先生の言葉にハッとする。

そうか。日本国憲法は、望みもしない戦争に駆り出された日本国民が、国の暴走を止めるための手立てとしてのものなんだ!

国家権力は、国民の願いを聞き入れなくて暴走する。そして実際にそうなった。
戦争に向けての法改正を繰り返し、「非常時」に向けての国家総動員法など。
そういった法律が出来上がると、それを盾に、異を唱える輩は全て「検挙」する。
「隣組」制度で相互監視させ、一層苛烈化させていく。

そうか。日本国家が戦争に突き進むのを止める手立てなんだ。

なぜ、そんな「手立て」を打つ必要があったのかというと。
1920年に国際連盟規約として、加盟国は戦争に訴えない義務を受諾した。
1928年には「不戦条約」(=国際紛争解決のため戦争に訴えない、国家の政策としての戦争を放棄する)が結ばれた。
大日本帝国はいずれの条約にも参加したのに、これらの条約を最初に破ったのは大日本帝国だった。
それは1931年の「満州事変」。
戦争と言わずに「事変」。…プーチンの「侵攻」と同じだ。

今、ロシアが国家として信用されなくなっているのと同じで、第二次世界大戦後の日本も、世界中から信用されない存在だった、のでしょうね。

1945年の国際連合憲章の第2条
2、すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに補償するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3、すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4、すべての加盟国は、その国際関係において、 武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

日本国憲法に先立つ、国際連合憲章。
そうか、と、「日本国憲法の第9条第1項は、第2時世界大戦後の、平和を求める人類の願いを受け継ぐもの」という今先生のレジュメの言葉に深く頷く。
さらに第9条第2項の戦力放棄・交戦権後期は、人類史上初めてのものである、のだと。
つまり、第9条第2項は、戦争を無くしたいという人類の願いの最先端をいくものなのだ、と。

さらに今先生は、「平和的生存権」についても触れられました。

(憲法前文)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


人類史上初めて「平和的生存権」を明記した、ものらしい。
なんか。すごい文面だなと思う。
日本国民だけでなく、全世界の国民の「平和的生存権」を願う、のか。
第2時世界大戦後の心ある日本人が、どれほど世界での日本人の名誉回復を願ったのか、も思う。
「押し付け憲法」である、という見方もあることは知っているけれど。
こんな、切ない「懺悔の仕方」は、「押し付け」からは生まれない、と思う。


憲法を守らないといけないのは国家権力。
憲法とは、主観者である国民が、国家権力の発動を制限するために定めた「権力制限規範」。

なぜ、国家権力の発動を制限する必要があるのか?
それは国家権力から人権を守るため。もっと言うと国家権力による人権侵害を許さないため。

その明解な説明に納得する。

恐ろしいのは、「自衛隊」を第9条第3項に明記すると、途端に意味が変わる、ということ。
第1項、第2項と同時に制定されたものではない場合、後からのものが最優先になる、ということ。
これは、恐ろしい。
そうなると、自衛隊の集団的自衛権が優先され、戦力放棄も、交戦権否認も空文化する。
つまり、「絵に描いた餅」状態、有名無実になる、ということ。
「改憲論」者の「第9条の第1項、第2項は堅持する」も空約束となる。

この点は、見過ごされてきているのではないか?
後のものが最優先される、ということを知らされずにきている、と思う。
恐ろしい。本当に恐ろしい。こういった「物の運び」が恐ろしい。

参院選で自民党が圧勝すると、一層「改憲」への動きが早まると思う。
待って、待って、と止めたい気分。
きちんとした情報なしに、判断させないで。
けれど。自分から求めて動かない限り、情報不足のまま、「国民投票」なんてことになるのかもしれない。

今なら。まだ間に合う。

画像は、私に抱っこされてまどろむ、2ヶ月のアンジー。
…そうね。こんなふうな穏やかな時間を持ち続けるために、憲法は存在するのかもしれない。

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