折々のことば。2024年2月2日のウィリアム・シェイクスピアの言葉。
I would cure you. ウィリアム・シェイクスピア
鷲田清一の解説。
近世イングランドの劇作家の『お気に召すまま』に出てくる台詞(せりふ)。
強い願いを表す“would”で言われているので、「私が必ず治します」と訳すべきところ、シェイクスピア劇を東北弁で上演していた英文学者の下館和巳は「治(なお)っから」と訳す。
病む人への思いやりが滲(にじ)む。
子どものことも「育てます」より「育ちます」と言うべきなのだな。
下館の『東北のジュリエット』から。
病気は医者や薬に「治して」もらうものではなく。
病人の意志によって「治る」ものなのか。
…そうかもしれない。
コロナ禍によって、なんだか「見たくない」ものをまざまざと見せられた、気がする。
発熱があるだけで、もう受診できない、とか。
発熱がなくても「お腹を壊している」と言ったがために、「待合室」から大急ぎで追い出され、PCR検査をして陰性でないと受診できなかったり。
あれは、忘れもしない、2021年の夏のこと。
母に付き添って内科を受診し、ついでに私も診てもらっておこうと思ったばっかりに。
いきなり「バイ菌」扱いされ、母も私も診てももらえず、午後からの指定されたPCR検査を受け、それから、その結果がわかる夕方まで受診を拒まれ、電話で検査結果を知らされて、ようやく夕方に受診できたこと。
…朝一番に病院に行き、それから。PCR検査のために午後1時に出向き、そして「陰性でしたー」という報告の電話を受けて、漸く「夕方」の受診時間に3度目の来院をして。
医者なんて。こんなものか、と思った。
まあ、「発熱外来」を設ける開業医もいたから。
一概に言ってはいけないんだけど。
…まあ。コロナでお金儲けに走った人もいた訳で。
人それぞれ、ですね。
まあ。それで、基本的に病院には行くものではない、という信念ができてしまった、けど。
…それはそれで、いいと思っているんだけど。
そうね。。基本的に、人の身体は、自然治癒力もあって。
「治る」ものなのかもしれない。
そうそう。
カウンセリングルームに来られるお母さんたちも。
自分の「育て方」が悪かったと、とてつもなく大きな「負い目」を背負って来られるんだけど。
いや、違いますよ。と私は言う。
その子の持って生まれた性質もある、と。
そんな、親の思ったようには育ってませんもの。
私だって。親の願ったようには育ちませんでしたもの。
まあ、だから。
基本、育ちたいように育つ、んだわ。
こればっかりは、どうしようもない。
だから、半分。
環境と本人の資質、半分ずつ。
…まあ、そんなところでしょう。
100%環境が悪いこともないし、100%本人が悪いこともない。
ただ、「どんなふうに育ちたいか」を模索し、自己決定するまでの、時間的「猶予」はないと、ね。
待つこと。
自分が育つのを、待つこと。
子どもが動き出すのを待つこと。
焦って十分検討しないままに決めないように、自分の心が動き出すまで待つこと。
…必要なのは、それだけ、ね。
画像は、2月28日に撮った、奈良公園・片岡梅林の梅。
空に向かって、枝をすっくと立てて。
ちょっと、桃色が可愛かった。