折々のことば。2024年3月9日の白石正明の言葉。
編集者には惚(ほ)れる力、「これはすごい」と思う力が必要なんだろうと思います。 白石正明
鷲田清一の解説。
惚れるとは、よくわからないままに惹(ひ)かれ、圧倒されること。
一方、批判から入る人、冷笑的な人の傍(そば)にいると「自分を崩せない」その構えに感染し、「恥はかかないけれど感動もない」仕事しかできなくなると、シリーズ《ケアをひらく》を刊行してきた編集者は言う。
ときめく言葉を既知の文脈に収容することで「謎」を消してしまわないように。
『精神看護』3月号から。
惚れる力、ね。
うーん。。確かに。
「よくわからないままに惹かれ、圧倒される」ことがないと、嵐は起きないわね。
情動に突き動かされたエネルギーは。行き先もわからないまま、周囲をなぎ倒すほどの。
それはそのまま、次代の扉を開く、やも知れぬ。
なぜなら。それは、心「ときめく」言葉だから。
ドキドキ、ワクワクを引き起こす言葉だから。
…そのドキドキ、ワクワク、はどこから生まれてくる?
先月15日。
私はインターネットラジオの収録で、34年前の教え子をゲストに迎え、「ゆめのたね」大阪スタジオにいた。
彼の整体師としての「肩甲骨」へのこだわりを聴いていて。
ふと。
肩甲骨の右と左とでは、凝りが溜まる、その原因が違うのだろうか?と思った。
それは、何の気なしにふと思ったことだったのだけど。
でも、その問いかけをしてから、彼は饒舌になった。
まさしく。彼のこだわり部分の的を射た、ようで。
話の前半、後半にどういった内容の話をするか、は予め打ち合わせておいたけど。
細かいところまで詰めなかった。
そこまで決めてしまうと、なんだか「台本」みたいになってしまう、ように感じたから。
大枠を決めただけで、それ以外はその時の成り行きで、と思っていた。
そして、それが「正解」だった。
私は、彼と対峙した時に、私の中でどんな「問い」が生まれるか、を待ってみようと思っていた。
そんな中で出てきた、「右と左とでは凝りの原因は違うの?」という問い。
彼の肩甲骨の話に引き込まれていき、そうして出てきた「問い」だった。
収録が終わったあと、開口一番に彼は「右と左の違いを訊いてもらえたのがよかった」と言った。
ああそうか。彼も、あの問いが良かった、と思ってくれたんだ、と感じた。
…たぶん、これが「丁々発止」の「対話」なんだろう。
私の知らない、相手の世界に引き込まれ、その、相手の土俵で相撲をとる。
切り込んだ「問い」が、相手の世界のさらなる地平を切り開く。
そうね。そんな「対話」がしたかったのよ。
互いのやり取りで、互いの視界が拓けるような「対話」が。
しかしそれには、相手の持つ世界に対する、限りない興味が必要、ね。
面白い! と感じることなしに、切り込んでいけない。
だって。知識量では、相手を上回るものを持たずに勝負するんだもの。
まあ、それで。「惚れる力」なのね。
訳も分からず、面白い! と感じる力、か。。
これは、本当に。「編集者」だけのことではない、ね。
あ、ラジオのトークも。ゲストとの関係を「編集」していくのか。。
まあ、そうすると。
今後、ゲストを呼んでトークしていく私としては。
どのくらい幅広い好奇心を持ち合わせているか、が勝負となる、ね。
ふふふ。まあ。乞うご期待。
画像は、昨日急に思い立ってお出掛けして撮った、月ヶ瀬の梅。
ひとつだけ咲いている紅梅があって。
まあ、健気に頑張ってるじゃない! と思ったもので。