9月のゲシュタルトのトレーニングコースで制作したときには「タイトル」をつけ、そして自分はその作品のどこにいるかを考えることで自己内対話が生まれました。
説明し終わったときには、タイトルが変わっていることもあったり、「これが自分」と思ったコラージュのパーツが違ってきたり、ということも生じました。
…そういったコラージュ作品の扱い方はどこから生まれたものか、ということにも興味があるところです。
その後、「ガン患者さんイベントにおけるコラージュについて」の報告がなされました。
そのイベントが「日本対がん協会」という、「がんの制圧」を目的とした団体のものであることから、「がんの告知を乗り越え、生きていることを祝福し(祝う)、旅立った愛する人たちを偲び(偲ぶ)、がんにまけない社会を作る(立ち向かう)ことをめざす、という趣旨での作品製作とならざるを得ない、ということがあります。
何か、その辺りからして私は違和感を感じ、もやもやしたものを感じながら発表を聴いていましたが、最後につい意見を言ってしまいました。
「日本対がん協会のイベントであることからの制約が強すぎて、コラージュ療法の持つ良さが発揮できないように思われるのですが。
がんの制圧という方向からでの取り組みしかできないのは、不自由である気がします。がんもいろいろなので、一概に言えないのですが、もっと別の方向での受け止めもあるのではないか。」
「たとえば、私も10年前から甲状腺癌があるのですが、今のところ経過観察で過ごしてきています。
遺伝性のもので母も甲状腺を患ったので私自身気にするところがあって、人間ドックの時にオプションで調べたら、癌が見つかりました。
母などは、早く手術して無くしてしまうように、と言ったのですが、私はそうしませんでした。
癌になっている腫瘍は1センチ未満でしたが、一応良性であるとされている腫瘍は3センチあって、手術するなら全摘になるからです。
甲状腺はホルモンを出すところなので、全摘すると一生ホルモン剤を飲むことになります。
10年前というと、更年期に差し掛かる頃で、それも不安でした。
3センチの腫瘍は10年ぐらいかけて出来たものだと言われ、そうか…と思いました。
その10年前に私は子どもを産み、それからの生活が5時間睡眠となってしまったのです。
ああ、そうなんだ、そんな無理な生活を続けてきたから癌になったんだ。
そう思うと、癌も自分の一部のような気がしました。それで経過観察を選んだのです。」
「その4年後に子どもが不登校になった時、ああ、私の癌と一緒だと思いました。
嫌なものかも知れないけれど、切り離せない、不登校した子どもも、嫌なものかも知れないけれど、私は切り捨てることができない。
受け入れるしかない、と思うきっかけになったのです。」
「そういった方向からの取り組みができないのなら、日本対がん協会のイベントということを外しての取り組みができないものでしょうか?」
ちょっと、根幹的なところを問題にしたものだから、お答えいただけなかったのですが、本当に、コラージュ療法の可能性を狭めているようにしか思えませんでした。
…私が枠から外れたいのは、コラージュ作品だけでなく、研究発表の在り方そのものに対しても、コラージュ療法の在り方そのものに対しても、だったのですね。
今、振り返りながら気づきました。
夜、大学時代からの東京の友人に電話で話をしたら、
「元々のアメリカの対がん協会っていうのは、キリスト教精神が強いと思うよ。
それは、やはり制圧だと思う。
日本は、どうでしょうね、仏教精神が根底にあるから、調和だったり、共存だったりするんじゃないの?」と言われました。
中国で生まれ育った人なので、日本を客観的に見ていると思って意見を求めたのですが、さすがに的確な答えが返ってきました。
そのことについては、京都文教大学の森谷先生も、その場ですぐに指摘されていました。
「日本は仏教精神が流れているから、がんへの対し方も異なってくるでしょうね。そういった違いも踏まえないといけないかなあ…。」と。
なかなか、示唆に富んだ時間となりました。
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