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ないものねだりをしてみても…〜川崎洋の詩「鉛の塀」〜

2017/10/03
ないものねだりをしてみても…〜川崎洋の詩「鉛の塀」〜

10月になりました。

朝夕が随分涼しくなりましたね。

特に朝は、何か上に羽織らないと肌寒いぐらいです。

…というのは、杏樹(アンジー)の朝の散歩で、6時半頃、ご近所を歩いているので。

 

今日は、川崎洋の「鉛の塀」という詩を取り上げようと思います。

「読書への誘い」の第56号で紹介したものです。

 

  「鉛の塀」    川崎洋

             

 言葉は

 言葉に生まれてこなければよかった

 と

 言葉で思っている

 そそり立つ鉛の塀に生まれたかった

 と思っている

 そして

 そのあとで

 言葉でない溜息を一つする

   (『川崎洋詩集』国文社・1968年刊)

 

言葉は、事の端(は)。

物事の一端でしかなく、全部を言い表せない。

う〜ん…、確かに。

十分言い表せることなんて滅多にないことですね。

多くは足らなかったり、違う方向に伝わったり。あるいは余計なものが加わったり。

だから、その曖昧さに嫌気がさして、「そそり立つ鉛の塀に生まれたかった」なんて思うのですね。

 

「鉛の塀」か…。どんなイメージ? 

がっしりと無機質で、有無を言わさず。…そうそう、それが「そそり立つ」のですね。

「そそり立つ」とは、「目立って高くそびえる」こと。

 

でも、そう思うのだって「言葉」で、だし。

それ以外の表現は「溜息」でしかなくて…。それだって、「曖昧」なもの。

 

面白いのは、「言葉」の背後に、「言葉」を使う「私」が見え隠れしていること。

「言葉」が思っているっていうんだけど。

「私」が「私になんか生まれてこなければよかった」と思うときと、通じるかもしれない。

もっともっと強い「鉛の塀」だったら、苦しい思いをせずとも済んだのに、とか。

 

でも「鉛の塀」にだって、きっと人知れずの悩みがあるかもしれませんね。

自分の重さに辟易(へきえき)している、とか。

軽やかに風と戯れたい、などと夢見ているかもしれない。

…まあ、わかりませんが。

 

「言葉」は「言葉」でできることを追求するしかなく、「私」は「私」でできることを追求するしかない、ですね。

うん。わかっているのだけど。

ときに、言ってみたくなるのね。

自分にないものを。

「もし、○○だったら、いいのにな」

 

そういうときは、ものごとがうまく回っていないとき。

また、風向きが変わったら、気持ちも変わるよ。

溜息をしっかり出して、新しい息を吸い込もうね。

「私」でよかったって思うときもあるよ、きっと。

 

画像は、一昨日の朝の散歩で見かけた、ご近所のステキな塀。


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