チビウサギとデカウサギのお話。
でも、親子ってわけでもないみたい。
‘ちいさなちゃいろいノウサギは、おやすみのじかん。
おおきなちゃいろいノウサギのながいみみにつかまって、ベッドへいくところ。’
‘ちいさなウサギは、おおきなウサギに きいてみたくなった。
「どんなに、きみがすきだか あててごらん」
「そんなこと、わからないよ」と、デカウサギ。’
「こんなにさ」
チビウサギは、うでをおもいきりのばした。
デカウサギのうでは、もっと
ずっとながかった。
「でも、ぼくは、こーんなにだよ。」
なるほど、それは、うんとだ。
チビウサギは、かんがえた。
こんなふうに、チビウサギは自分の身体を使って、「どんなにきみがすきだか」を一生懸命表現しようとします。
でも、そのたびに、デカウサギの身体の方が大きいから、言い負かされてしまうのです。
身体で表現することに限界を感じたチビウサギは、距離で表現しようとします。
「きみのこと、このみちをずっといって、かわにとどくぐらい すきだよ」と叫ぶ。
なのに…
「ぼくは、きみのこと、かわをわたって、おかをこえたぐらい、すきだよ」な〜んて、あっさり返されてしまう。
もうねむくて、なんにもおもいつかないチビウサギは、
「ぼく、おつきさまにとどくぐらい きみがすき」と言うと、眠ってしまいます。
‘「それは、とおくだ」と、デカウサギ。
「それは、とてもとても、とおくだ」
デカウサギは、チビウサギを木の葉のベッドに、そっとねかせると、かがんでおやすみなさいのキスをした。
それから、チビウサギのそばによこになり、ほほえみながらささやいた。
「ぼくは、きみのこと、おつきさままでいってーーーかえってくるぐらい、すきだよ」’
他愛もない、と言ってしまえばそうなんですが。
私はいつの頃からか、現代文の授業開きは『百万回生きたねこ』で、授業の最後はこの『どんなにきみがすきだか あててごらん』で閉じていました。
チビウサギは、いつもいつもデカウサギにかなわないのですが、でも、それでもいいよね、その時にできる精一杯で、というような話をしたような。
でも本当は、そんな「理屈」より、単に「好きだよ」の連発が、なんだか心地良かったような。
子どもにもそんなふうに「だあい好き!」と言いたかっただけだったように、1年間を過ごしてきた生徒たちにも単に「あなた方が大好きよ」と言っておしまいにしたかった、ような気がする。
いろんな生徒がいたけど、もちろん、相性の合う合わないもあったでしょうけれど、1年間、いろんな文章を書かせてきて、ひとりひとりの個性がよくわかって、書くことが得意な人も不得意な人も、それぞれに1年間の成長が見られて、いとおしい気持ちになりました。
…そんなことを、この絵本を読み返して思い出しました。
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