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遊びを失う〜長田弘の詩「あのときかもしれない 三」〜

2018/04/06
遊びを失う〜長田弘の詩「あのときかもしれない 三」〜
「鶴瓶の家族に乾杯」という番組が母は好きで、毎週欠かさず観ています。
「つるべさん、あの人、路地が好きなんや」と教えてくれます。
「私もそうよ。」と言うと、「へえ〜?」と言ってきます。
「なんで、そんなとこ、好きなん?」

私はしばらく考えます。
「狭い道の…その先に、何が広がっているか、ワクワクするから。」

そんなやり取りをしていたら、ちょうど「三」は道の話です。

 

    

    「あのときかもしれない 三」       長田 弘

 

 大通り。裏通り。横町。路地。脇道。小道。行き止まり。寄り道。曲がり道。どんな道でも知っていた。

 だけど、広い道はきらいだ。広い道は、急ぐ道だ。自動車が急ぐ。おとなたちが急ぐ。広い道は、ほんとうは広い道じゃない。広い道ほど、子どものきみは肩身が狭い。ちいさくなって道の端っこをとおらなければならないからだ。広い道は、子どものきみには、いつも狭い道だった。

 きみの好きな道は、狭い道だ。狭ければ狭いほど、道は自由な道だった。下水があれば、きみはわざわざ下水のふちを歩いた。土手を斜めにすべおちる道。それも、うえから下りるだけなんてつまらない。逆に上るんだ。走って上るなら、誰だってできる。きみはできるだけゆっくり上る。ずりおちる。

 白い石塀のうえも、道だった。注意さえすれば、自動車も犬もとおれない。それはきみと猫だけの安全な道だった。身体のバランスをうまくとって、平均台のうえを歩くときのように、きみは歩く。だが突然、きみは後ろから怒鳴られる。「どこを歩いてるんだ。危ないぞ」。その声にびっくりして、おもわずバランスを崩して、きみは墜ちる。きみは不服だ。「危ないぞ」だなんて、いきなり、それも後ろから怒鳴るなんて、危ないじゃないか。しかし、二どと石塀のうえの道は歩かなかった。

 何でもない道だったら、小石をきれいに蹴りながら歩いた。石を下水に落とさず、学校から家まで、誰にも邪魔させずに蹴りつづけてかえったのが、きみの最高記録だ。どんな石でもいいわけじゃない。野球選手がバットケースからバットを択びだすときのような目で、きみは小石を慎重に拾う。丸くて平べったい石がいい。道をスーッと、かるくすべってゆく石がいい。気にいった石がきみの蹴りかたがまずくて下水に落ちると、きみは口惜しかった。

 子どものきみは、道をただまっすぐに歩いたことなどなかった。右足をまえにだす。次に、左足をまえにだす。歩くってことは、その繰りかえしだけじゃないんだ。第一それじゃ、ちっともおもしろくもなんともない。きみはそうおもっていた。こんどはこの道をこう歩いてやろう。どんなゲームより、どんな勉強より、それをかんがえるほうが、きみにはずっとおもしろかったのだ。

 いま街を歩いているおとなのきみは、どうだろう。歩くことが、いまのきみにはたのしいだろうか。街のショーウインドウに、できるだけすくなく歩こうとして、急ぎ足に、人混みのなかをうつむいて歩いてゆく、一人の男のすがたがうつる。その男が、子どものころあんなにも歩くことの好きだったきみだなんて、きみだって信じられない。

 歩くことのたのしさを、きみが自分に失くしてしまったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。歩くということが、きみにとって、ここからそこにゆくという、ただそれだけのことにすぎなくなってしまったとき。
                       (『深呼吸の必要』晶文社・1984年刊)


「だけど、広い道はきらいだ。広い道は、急ぐ道だ。自動車が急ぐ。おとなたちが急ぐ。広い道は、ほんとうは広い道じゃない。広い道ほど、子どものきみは肩身が狭い。ちいさくなって道の端っこをとおらなければならないからだ。広い道は、子どものきみには、いつも狭い道だった。
 きみの好きな道は、狭い道だ。狭ければ狭いほど、道は自由な道だった。下水があれば、きみはわざわざ下水のふちを歩いた。土手を斜めにすべおちる道。それも、うえから下りるだけなんてつまらない。逆に上るんだ。走って上るなら、誰だってできる。きみはできるだけゆっくり上る。ずりおちる。」
 …そう。広い道は私も嫌いだった。車がせわしげに通り、追い立てられるように、道の端っこに除けなければならなかった。

 今の「ならまち」の外れ。西木辻の辺りに、私は習字を習いに行っていた、ように思う。
古い、格子戸の街並みの道の端っこの少し段になっているところ…アスファルトの道路と、家の間の…つなぎ目となるブロック(?)。
アスファルトには「つらいち」になっていたけど、家側には、少しだけ段になっていて…その段の上を平均台のようにして歩くのが好きだった。
本当に狭い段。時折、踏み外して落ちた。落ちたといってもそんなに段差がないので、ケガをすることもなく。

わざわざ、なんで、あんな狭いところを歩きたがったのだろう?
…理由なんて、ない。ただ、楽しかったから。
車も通る道で、道路の端を歩かなければならないのだったら、進んで、その端の端を歩くことを好んだ。
落ちないように歩くことが楽しかった。

「子どものきみは、道をただまっすぐに歩いたことなどなかった。右足をまえにだす。次に、左足をまえにだす。歩くってことは、その繰りかえしだけじゃないんだ。第一それじゃ、ちっともおもしろくもなんともない。きみはそうおもっていた。こんどはこの道をこう歩いてやろう。どんなゲームより、どんな勉強より、それをかんがえるほうが、きみにはずっとおもしろかったのだ。」
私は、どんな勉強よりおもしろかった、とまではいかないけど、道を目の前にしたら、その瞬間、「どんな風に歩こうか」を考えることに没頭した。
足の出し方を変えてみたり、右足を出すときと左足を出すときとでは、重心がどんな風に変わるか、試してみたり。

…なんか、思い出すと笑えてくる。…ふふふ…やっぱり「変な子」だったんだ…!

子どもの私は、母に「変な子」と言われて、いたく傷ついたのだけど。
「私の、何が変?」って思ってた。
母が期待するように喜ばなかったり。母が全く興味の示さないことに夢中になったり。

「変な子」と言われても、私は私の「感じ方」を手放すわけにはいかなかった。
私が私の「感じ方」に浸って行動しているとき、私は私の内(なか)にメロディーが流れるのを感じたから。
弾むような…懐かしいような。

私はひとりだった。私はひとりで…自由だった。


「いま街を歩いているおとなのきみは、どうだろう。歩くことが、いまのきみにはたのしいだろうか。街のショーウインドウに、できるだけすくなく歩こうとして、急ぎ足に、人混みのなかをうつむいて歩いてゆく、一人の男のすがたがうつる。その男が、子どものころあんなにも歩くことの好きだったきみだなんて、きみだって信じられない。」
…そうね。仕事を持ち始めて、「用事」が増えて、できるだけ「無駄な時間」を省くことを考え始めて…。
歩くことも、単なる「移動手段」でしかなくなって。

「遊び」がなくなった、のね。
「遊び」って、たとえば、車のハンドルの「遊び」。
それがないと、スムーズにハンドル操作ができない。
スムーズな動きのために必要不可欠な「ゆとり」。

けれど「用事」に追われると、そんな「必要不可欠」なゆとりさえも、人は手放してしまう。
自分を殺してしまうことになるのに、ね。

「用事」ってなんだろう?
生活していくための「ねばならない」。

「トップドッグ・アンダードッグ」(ゲシュタルト療法)の「トップドッグ」。

でもまあ、いいか。
一度は、そんな風に自分を押し殺して、その不毛さに気づいて、人はまた、歩き出すのだろうから。

さあ、「四」はどんな風に展開するんだろうか? お楽しみに。

画像は、杏樹(アンジー)との朝の散歩で見かけた、ご近所の桜。蕾が開いてきました。 

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