もう「お勤め」を辞めて2年になるのに、朝は5時もしくはその前に目が覚める。
目覚まし時計も必要なく。
5時起きは、長年の私の習慣だった。
5時に起きて、洗濯機を回して、朝ご飯の準備をして、子どもを起こす。
洗濯物を干して、7時前に家を出る。
学校には7時半には着いていた。
学校が始まる1時間前に行かないと、準備が整わなかった。
今は、5時前ぐらいに起き出して、コラムを書く、生活。
自分のリズム、自分の好み、自分の…こだわり。
そんな「自分」にしか合わないものに気づき始めたのはいつだったろう?
今回は「自分にちょうどよい、自分の身体の大きさ」のお話です。
「あのときかもしれない 五」 長田 弘
子どものきみは、ちいさかった。おとなになったきみよりも、ずっとちいさかった。
おとなの腰ぐらいまでしかなかった。だから、きみは、早くおおきくなりたかった。実際、おおきくなったら、何もかもうまくゆくような気がした。いちいち椅子にのぼらなければ何もできないなんて、ひどく不便だった。どんなものでもみんな、おとなの背の高さにあわせてできているのだ。母親に秘密の話だってできない。秘密の話は、耳うちする話だ。ところが母親の耳ときたら、背のびしても届かないような、とんでもなく高いところにあるのだった。
きみの好きなのは、野球だった。きみはしかし、ボールを片手で、まだきちんと掴めなかった。ボールのほうが、きみの掌よりずっとおおきかったのだ。きみが野球を好きだったのは、きみの父親が野球が上手だったからだ。父親はきみの背の高さとおなじぐらいのバットを、かるがると振りまわした。そして、誰が投げても、いつでもらくらくとおおきな本塁打を打つのだ。
子どものきみは、父親と一緒に、よく野球のグラウンドにいった。グラウンドにゆくのはたのしかった。いつもはこわい父親が、本塁打を打つと、きみのほうをみて微笑した。きみの父親はがっしりとしていた。背が高く、太い腕と速い足をもっていた。きみの父親は、まだきみの父親でなかったとき、名のとおった野球選手だったのだ。草野球で本塁打を打つなんて、簡単だった。
そのときも、きみの父親は、きれいに本塁打を打った。試合はそれで終わりだった。父親はもどってくると、きみに言った、「野球はおもしろいか」
「うん」。きみはこたえた。
「じゃあ、おおきくなったら、お父さんと野球をしよう」。父親が言った。
「ほんとう?」きみはうれしくて、息が詰まりそうになった。父親がきみを仲間にしてくれるというのだ。「じゃあ、ぼく、来週おおきくなるよ!」
来週がきた。しかし、きみはすこしもおおきくならなかった。決心が足りなかったのだ、ときみはおもった。そして、こんどこそきみは、こころに深く決めた。おとなの肩の高さまでおおきくならなくっちゃ。そしてやがて、そのとおり、きみはおとなの肩の高さまでおおきくなった。こんどは、おとなの背の高さまでおおきくなってやろう。そしてやがて、そのとおり、きみはおとなとおなじだけおおきくなった。だが、そこまでだった。どんなに決心しても、きみはもう二どと、それ以上おおきくならなかった。きみは、きみにちょうどの背の高さ以上の人間にはなれなかった。
そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。これ以上きみはもうおおきくはなれないんだと知ったとき。好きだろうがきらいだろうが、とにかくきみには、きみにちょうどの背に高さしかこの世にはないんだってことに、はじめてきみが気がついたとき。
(『深呼吸の必要』晶文社刊)
…そうね。「好きだろうがきらいだろうが、とにかくきみには、きみにちょうどの背に高さしかこの世にはないんだってこと」。
そう言われてしまうと、そうですね、としか言えないけれど。
「もっと、○○だったら…」と思ってしまうのは、世の常で。
私の身長は159センチ。中学2年生にこの高さになって、それ以来伸びていない。
小学生の頃は、おおきい方だったと思う。
だけど、中学2年で身長の伸びが止まってから、あれよあれよと抜かされていって。
それを実感したのは、体育の時間に身長別で並ばされて。
とりあえず、昨年の順に並ぶのだけど、先生が目測していって、順番を入れ替える。
私はどんどん、後ろから前になっていく。
最終的には真ん中ぐらい、だったような気がする。最終的って、高校時。
どういうわけだか、身長の高い人から並べて、運動会などで行進させる。
なぜ、身長順に並ばされるのか、私は全く理解できなかった。
160に満たない、この中途半端な数字!
でも、これが私に「ちょうどの背の高さ」だったのでしょう。
そんなこと、この詩を読むまで、思ってもみなかった、けど。
この詩の「きみ」も「来週おおきくなるよ」と言って、少しもおおきくならず。
それを「決心が足りなかったのだ、ときみはおもった。」というところでちょっと吹き出してしまった。
…そうか。「決心」、ね。
私の背の高さは中くらいだったので、そんなに意識してこなかったけど、人より小さかったり、大きかったりして、それが気になる人にとっては大変だったろうな、と思う。
でも、これも全部「人と比べて」なので、本当のところ、どのくらいがいいか、なんて決められないものなんだろうけど。
私の「もっと、○○だったら…」は、…そうね、別のことで、そう思った。
「もっと、いろんなこと考え込んでしまわない私だったらよかったのに。」「淋しくならなかったら、よかったのに。」
あ、思い出した。
「もっと胸が目立たなければよかったのに。」も思った。
私は、どういうわけか胸が目立って、中学生の時から、よく痴漢に遭った。
自転車に乗って、こちらに向かってくる人に、通りすがりにパンと触って行かれたり。
電車から降りるときに、パンと触って行かれたり。
びっくりして、声も出なかった。
身体に残った感触は、お風呂に入って洗い流しても、なかなか消えなかった。
大学生になって、満員のバスの中。握り棒を握っている私の手を、上から握る輩がいて。
「手、どいて貰えます?」ちょっと低めの声で言ったら、
「ああ…すまんすまん」と顔の見えない角度で、おじさんが、今気がついたように言って離した。
それからは、痴漢に遭わず。なんだ、物言いそうな雰囲気だったら、大丈夫なのね…と思った記憶がある。
中高生の頃は、「やめてください」って言いたくても言えなかった。
閑話休題。
自分の身体の大きさも、自分の性格も。「好きだろうがきらいだろうが」どういうわけか、そうなってしまっているものを、どうにもできなくて。
引き受けざるを得なかったのよね。
そう思えたのは、いつだろう? …私は私でしかありえない、と。
随分、遅い気がする。
40を過ぎてから? かもしれない。
それまでは、もっと別な私になりたくて、あれやこれや、もがいていた、気がする。
そうか…自分の身体の大きさも、形状も、自分の性格も、「自分にちょうどのもの」だったんだ!
そんな風には思えてなかったけれど。「まあ、しょうがない」で引き受けてきたのだけど。
そうじゃなくて。「自分にちょうどのもの」か…。
ちょっと、嬉しい発見でした!
画像は、今月初めに、自転車で竜田川の桜を観に行ったときの杏樹(アンジー)。
アンジーも「トイ・プードルにしたら、大きいね。」と言われることもあるけど、4.5キロは、この子にとって「ちょうどいい大きさ」なのでしょう。