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神を求める〜北原白秋の詩「月から見た地球」〜

2018/12/17
神を求める〜北原白秋の詩「月から見た地球」〜
え!? 北原白秋がこんな詩を書いていたの?
と思ったのが、
「読書への誘い」第119号で紹介した、
「月から見た地球」です。
今朝はこの詩を取り上げたいと思います。

前回に引き続き、ちょっと「月」続きになりますが。


   「月から見た地球」   北原 白秋

 

 月から観た地球は、円(まど)かな、

 紫の光であった、

 深いにおいの。

 

 わたしは立っていた、海の渚に。

 地球こそは夜空に

 おさなかった、生まれたばかりで。

 

 大きく、のぼっていた、地球は。

 その肩に空気が燃えた。

 雲が別れた。

 

 潮鳴(しおなり)を、わたしは、草木(そうもく)と

 火を噴く山の地動を聴いた。

 人の呼吸を。

 

 わたしは夢見ていたのか、

 紫のその光を、

 わが東に。

 

 いや、すでに知っていたのだ。地球人が

 早くも神を求めていたのを、

 また創っていたのを。

   (詩集『海豹と雲』・アルス社・ 1929 年刊)

 

 

今回は、地球から見た月、ではなく、

月から見た地球、ということで。

 

「地球は青かった」と言ったのは、

1961年に月面に降り立ったガガーリン。

人類初の、月に降り立った宇宙飛行士。

 

(帰還直後の言葉、とされていますが、

実際にはその記録はない、とする説も。)

 

とすると、この詩が発表された1929年は、

月にはまだ人類は降り立っておらず、

月から地球を眺めた人もいないわけで。

 

「紫の光」というのは、

詩人の全くの想像で。

 

凄いなあ。

薄紫の光に包まれた地球が

あってもいいような気になってくる。

 

しかも、「創世記」の地球らしい…。

 

そうして、最後の連。

「地球人が/早くも神を求めていた」「また創っていた」と。

 

日が昇り、日が沈み、

雨が降り、雷が鳴り、

灼熱の太陽に照りつけられ、

雪や氷に閉ざされる日々。

 

それらの変化に、人は理由が分からず、

「神」の存在に祈るしかなかったかもしれない。

 

確かに、ね。

いくら科学が発達したからといって、

地球まるごとを生み出せる訳ではない。

 

人間を含む生き物を生かしてくれる、温度、光、空気…の存在は、

人間以外の存在の「計らい」。

それを「神」と名付けたとて、何の不思議もない。

 

 

ボイスアート創始者・まやはるこ先生の言葉に

「…でも、大丈夫、なんです。

 今、ここで生かされている、そのことが全てなのです。」

というのが、あるけれど。

 

何があっても、大丈夫、と。

今、ここで生かされている、という事実が

全てを物語っている、と。

 

ああ、そうですね。

私たちは「生かされて」いて、

私たちひとりひとりに「居場所」があって、

(だって現に、肉体は、一定の空間を占めますから)

私たちがそのことに気づこうが気づかずにいようが、

その「事実」に変わりはなくて。

 

そんなことを想いました。

 

詩人北原白秋の想いとは、

ちょっと違ったところに行ってしまったかもしれませんが。

 

しかし、それにしても詩人の目は

人類を俯瞰(ふかん)するのですね。

研究者がコツコツと検証するのとは違った方法で。

 

しかし、それこそが、

人間に与えられた能力かもしれない。

その方法は、「想像力」。

 

それこそが、人を他の動物と違(たが)わせているものであるならば、

「想像力」を摘む教育は「悪」だと言えるのではなかろうか。

そんなことまで想いました。

 

画像は、一昨年11月に撮った奈良公園。

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