私の好きな詩人のひとり、長田弘の詩に「最初の質問」という詩があります。
今朝は、7連から成る詩のその第1連を、ゆっくり読みたくなりました。
「最初の質問」〜第1連 長田弘
今日あなたは空を見上げましたか。
空は遠かったですか、近かったですか。
雲はどんな形をしていましたか。
風はどんなにおいがしましたか。
あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。
「ありがとう」という言葉を今日口にしましたか。
朝の杏樹(アンジー)の散歩は、今は大体7時前。
その時に、まずはゆっくり空を見上げるのだけれど。
今は7時をすぎないと、太陽が昇ってこない。
空の「遠さ」。
空は青く、遠いときも、雲が垂れ込めていて、近いときも。
雲の「形」。
すじのように横に伸びているときも、段のように連なっているときも。
風の「におい」。
少しまえから、空気が冷たくなって。1ヶ月ぐらい前の風の心地よさは、どこか遠くにいってしまった。
2ヶ月ぐらい前、金木犀の香りが漂っていたのは、今は遥か遠く。
私にとっての「いい一日」とは。
心穏やか、がベースで、
誰かに会う、心惹かれるものを見つける、ちょっとしたサプライズを思いつく、など
心弾むひとときがプラスされる日。
「ありがとう」。
…そうね。何かをしてもらって、「すみません」と謝るより「ありがとう」がいいなあ。
「ありがとう」はよく言うよ。
昔。子どもが小学校低学年だった頃。
子どもが割と頻繁に「ありがとう」を言うらしく、担任の先生に「きっとお母さんが家でよく言われるのでしょうね」と褒めてもらったことがある。
くすぐったかったけれど、ちょっと嬉しかった。
同時に、私は「ありがとう」ってよく言っているんだ! と思った。
言葉は面白い。言葉は不思議。
それから、「ありがとう」というたびに、「あ、私、ありがとうって言ってる!」と意識し始めた。
…最近は、青空に残った飛行機雲を見るたびに「修復の可能性を残さないほどにまっすぐな」と思うようになったけれど。
子どもの頃に千家元麿の詩に、三日月を評して「神さまの角のような」と表現した言葉に出会って。
それから三日月を見るたびに「神さまの角のような」と呟く私がいて。
まあ、そんな風に、私の中に「言葉」が蓄積されていくのでしょう。
そのうち、「熟成」したものが、どんな「変容」を遂げて生まれ変わるのか…
楽しみです。
画像は、今年の春ごろに撮った、馬見丘陵公園。空が限りなく青かった。