雨が降っています。今朝も早くから。
あんまり大雨だと、杏樹(アンジー)の散歩、いけないのだけれど、
今朝の雨はまだそれほど強くはない。
ふと、金井直の「木琴」を思い出しました。
小学校の教科書教材にもなった詩です。
…遠い昔、「読書への誘い」第44号でも紹介しました。
「木琴」 金井 直
妹よ
今夜は雨が降っていて
お前の木琴がきけない
お前はいつも大事に木琴をかかえて
学校へ通っていたね
暗い家の中でもお前は
木琴といっしょにうたっていたね
そして よくこう言ったね
「早く街に赤や青や黄色の電灯がつくといいな」
あんなにいやがっていた戦争が
お前と木琴を焼いてしまった
妹よ
お前が地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で鳴らし始めてからまもなく
街は明るくなったのだよ
私のほかに誰も知らないけれど
妹よ
今夜は雨が降っていて
お前の木琴がきけない
戦時中の空襲で亡くなった妹をうたった詩。
ぐらいしか、私もわからないのだけれど。
国語的な「問いかけ」として、
「なぜ、雨が降っていたら、お前の木琴がきけないのか?」がよくありそう。
雨が降ってなかったら…「お前の木琴」の音が聞けたんだよね?
それは、もちろん、妹が生きていた時の「記憶」の音だけど。
時々、つっかえたり、ちょっと音を外したり。
だけども、リアルに、本当にそこに妹が居るかのように、「兄」には聞こえていた。
音が…妹の存在をほのめかす。
雨音は…その木琴の音を消す。
現実の雨音の方が、リアルに「兄」の耳に響いてくるから。
…現実(リアル)ってなんだろう?
妹がもうここには存在しない現実。
だけども、いつだって、蘇らせることができる木琴の音。
ただ…「今夜」は、雨音にかき消される。
…じゃあ、しとしと、とは降ってないね!
ざあざあ、だ!
うるさいほどのざあざあは、かつての時間ではなく、今、に引き戻す。
記憶の音をかき消すように。
そうして、妹がもう存在しない「現実」に引き戻される。
いろんな「説明」をすっ飛ばして、
ただただ、妹がもうこの世に存在しない「現実」だけが突きつけられる。
…途方もなく淋しがっている「兄」の心だけが、雨音の中に取り残される。
画像は昨年8月末に訪れた天川村。
透き通った水の底に沈む石は、静かにそこに居ます。