4日前の朝。「沙羅Saraのほっと一息 詩の時間」の第10話を収録して。
第10話で紹介した「生きている貝」の作者、鈴木ユリイカが1941年生まれだと知って。
…え? もう80近いんだ! って驚いて。
彼女が詩集『MOBILE・愛』でH氏賞を受賞したのが、1885年。
その時にはもう40歳を越えていたんだ!
「生きている貝」、とても若々しい詩で。
なんだか、20代、せいぜい30代初めの詩であるように思っていた。
そうしたら、急に鈴木ユリイカの他の詩を読みたくなって、Amazonでポチッと。
彼女の全3冊の詩集を収めた現代詩文庫『鈴木ユリイカ詩集』が、昨日届いた。
第一詩集のタイトルにもなっている「MOBILE・愛」を読んでみる。
「MOBILE・愛」 鈴木ユリイカ
A
その玩具はごくありふれたモビールで非常に軽い銀色
の金属片が一本の糸を中心にゆるやかに回転する仕組に
なっている。夜明けが乳色の霧を流し女を眠りから目覚
めへ目覚めから眠りへゆるやかにゆすぶる。女は白い指
で紫色の紅茶をかきまぜた。子供が目を覚ます気配がし
た。男は眠っていた。
女はモビールを見つめた。モビールは軽やかに動いて
いた。モビールが動くたびに鳥が飛び、雨が降り、人間
の不思議な声が立ち昇った。砂漠のうねりや海の重い言
葉や遠い国の事件にもモビールは動き、太陽の六千度の
熱にもモビールが反応することに女は気づいた。
見えないものや意識を超えているもののことを女は思
った。なぜモビールは見えていて見えないのだろう?
部屋の中で宇宙の木のようにすさまじい勢いで回転して
いるのだろうか? 宇宙の木 白い時間の実がぶつかり
合う音がする。土星の横顔が見えた 青と白のすじの帽
子 空気の微細な重なりの中で宇宙の木モビールは立っ
ていた。甘い歌を歌いながら。
B
私が愛について何も知らないのは何も言えないからだ。
私は感じている。あなたを愛していますと言っても言葉
は私からこぼれ落ちてしまう。
けれどもひとりで居るときなどに見えもせず触られも
せず時間もなく、そこに在るものに向いあって半透明な
状態でそれは在ると感じる。それは動いている。私の内
部の海や音楽のうねりのように。私は〈愛〉と言ってみ
る。すると消える。
私たちは食事をした。子供があぶなっかしい手つきで
パンにチーズをつけたものをほおばるのを見る。あなた
が珈琲をかきまわす匙の音を聴く。子供が見知らぬ人物
のように見える。私たちは海岸のまぶしい光線の中で消
えいりそうに食事しているのではないか?
風が吹くと私たちは砂浜に何の痕跡も残さず消えてし
まうのではないか? いつからこの子供は私たちの間に
居るのか?
私は激しく驚く。私たちは荒々しい海の波に打ち寄せ
られ恍惚となりながら上陸したのではなかったのか?
子供は私たちの線に沿って宇宙の真ン中からやってきた
のではなかったのか? おお、海がこぼさぬようにしっ
かりと抱きかかえている見えない重い地球。愛。そして、
あなたは幾日も幾日もするどい鳥となって私の海の底を
渡ったのだ。生命のガラス玉演戯。子供は私の胎内に居
るとき何もかも知っていたのだ。誕生とともに何もかも
忘れたのだ。子供は縞模様のシャツを着てしたり顔でサ
ラダを食べる。
C
世界の現象というものはいつも目に見えている。私は
街をひとりで歩く。すると街はガラスの爪で動物のよう
に私に襲いかかり、私を分析し、私を噛み砕き、私を吐
きすてる。夏の日、冬の道、豹変する数字、乾いた死の
記号。波打つ群衆。
しかし、真実を探すのはむずかしい。私は紙のビルデ
ィングに入り、片隅のグラビア写真がひとりでめくれて
こげるのを見た。私は写真の中にひとりの子供の赤いズ
ルムケの背中を見た。被爆した子供の、瀕死のその子供
の顔は驚くほど静かで驚くほど安らかであった。私はそ
の子供が自分の息子に似ていると思った。
D
このように女は見えるものと見えないものの間に二重
に生きている。言葉にできるものと沈黙の間に。モビー
ルは動き続けている。
いつかあなたも女もコップ一杯の海水になるかも知れ
ない。いつか宇宙の果ての青いしみの微生物である人間
は闇の根から透明な導管に吸いあげられるだろう。宇宙
の木の果ても知れぬ木の葉。見えない花々。宇宙の木、
それは回転する回転する。無数の時間の白い実。夜が明
ける。