2021年1月24日の「折々のことば」。若林恵(けい)の言葉。
未来を考えるということは「いまとちがう時間」ではなく、「いまとちがう場所」を探すことなのかもしれない。
鷲田清一の解説。
未来社会として描かれるものはたいてい現代の欲望が生む幻影でしかない。
未来を考えるとは、すでに足許(あしもと)に兆し、萌芽(ほうが)状態で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみを育てること。
その意味で未来は「いますでに『どこかに』ある」と、「WIRED」日本版の元編集者は言う。
コラム集『さよなら未来』から。
「今と違う時間」ではなく、「今と違う場所」ですか。
うーん。
「すでに足許に兆し、萌芽状態で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみ」を育てることが、「未来を考える」こと、か。
つまりは、何もないところからは何も生まれない、と。
そうね、確かに。
まだ形になっていないだけで、「思い」はある。
それを具体的な「かたち」に育てる、ことが未来を創る。
「思い」がないところに、「かたち」は生まれない。
その「思い」は…願いから生み出される、ような気がする。
じゃあ、どんな「願い」を抱(いだ)く?
心豊かな繋がりを生み出す、人が集える場所を作りたい。
ああ、そうだね。
それは。確かに、「今と違う時間」が流れるわけではなくて。
「今と同じ時間」もしくは、より濃厚な時間が流れる場所。
その意味で未来は「いますでに『どこかに』ある」。
確かにそうだ。
来られた方が、疲れ果てた魂を回復させ、
それから、もう一歩踏み出すための営みを願って、
カウンセリングルームを作ったのだった。
もう少し、できることを増やしたい。
そう思ってのチャレンジ。
確実に。かたちにしていこう、
焦らず、ゆっくりと。
そう自分に言い聞かせた朝でした。
画像は、生駒駅前ビルの一角で見かけたアネモネ。
2日前の土曜日に撮ったもの。暖かな陽射しの中で咲いていました。
ところで、「折々のことば」は2月3日からお休みになっている。
「しばらく休みます。筆者がしばらく休養をとった後、再開します。」とのアナウンスが2月2日に入っていて。
ちょっと、心配。鷲田清一さん。再開待っています。