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どこで、違うナラティブ(物語)に触れていくか〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト1〜

2021/05/31
どこで、違うナラティブ(物語)に触れていくか〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト1〜
2021年5月29日・30日。
ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト(対話によるゲシュタルト)のオンラインワークショップの日。
レズニック博士は、昨年1月の「ファシリテーター集会」で来日されて、リアルでお会いしている。
ワークショップにも参加して、レクチャーもさることながら、デモ・セッションにも参加した。

デモ・セッションでは、…何か穏やかな、ふんわりと包まれるような空間が生まれた。

…でも、それは私には覚えのある感覚だった。
マイク・リードさん。彼のセッションをやっとのことで受けられた私は、その穏やかさに圧倒された。
何もかも。…なんだろう…何もかもが「許される」ような感覚。
泣きたいような、微笑みたいような。

そのマイク・リードさんと同じなのか、違うのか…
その前に座って、ただただ味わいたい気持ちがあった。

自分をその人の前に置いて、自分がどう感じるのか、それが知りたかった。

…でもまあ、「マイク・リードさんの時と同じなのか違うのかを味わいたい」なんて!
失礼すぎて口にできるわけもなく。
ただ「その前に座りたい」と口にして、ワーカー希望だけを出しておいたけど。

オンラインで、リアル時と同じような空間が生まれるのかどうか、も興味があった。

まずは、「コンテンポラリー・ゲシュタルトとは?」のレクチャーから始まる。
引き続いて、デモ・セッションワークが2つ。それらに関して、出てきた質問等への応答。

できるだけ、レズニック博士の言葉を拾っていきたいと思う。(小見出しは私が勝手に付けました。太字等は私個人でポイントと思われる箇所。)

1 「コンテンポラリー・ゲシュタルト」について

<このワークショップの目的>
・「コンテポラリー・ゲシュタルト」とは、何か一つだけそういうものがあるわけではない。ただ基本的なところは共通している。段階はいくつか違ったものがある。
・日本のゲシュタルトは、(皆さんが言われるように)それが本当のゲシュタルトではない、というわけではない、と思う。それもまた本当のゲシュタルトの一部。
・たとえば四季のある国に住んでいて、冬にその国を訪れれば、この国は雪の国だと思う、春に行けば、緑と花の国だと思う。夏も秋もそれぞれ違いがある。そして全体性がその4つの季節全部を包含している。
・多くの国で起こっていることだが、ゲシュタルトについて語っている人が1つの季節しか持っていないということがよくある。自分が教わったことを人にも伝えていく、それば別に悪いことではないが、それでは不完全。それは1つの季節に過ぎないから。
・私は皆さんがやっていることを「取り除く」ことをしたいわけではない。
・皆さんが既にやっていることに「付け加える」ことをサポートしたい。そして、今やっていることは何なのかを区別できるようにサポートしていきたい。

<セラピストとしてのサポート1ー自主性を促す>
・基本的に私たちがやりたいことは、その人がその人の環境の中で、自分の自己調整を取り戻す、ということのサポート。
・クライエントたちは、通常何かしら問題を解決したくて私たちのところへやってくる。セラピストとしてはその時のそのクライエントと共にいる、ことをしていく必要がある。「問題を見る」ことを退けたりしてはいけない。
・その問題を作り出したり維持するためにクライエント自身はどう「寄与」しているのか、そこに目を向けることも促していきたい。
・それがその人のせいだというのではなく、その人がその環境に対応していくために自分でどのような「寄与」をしているのか、ということも、その問題の大きな部分。
・その体験というものは共に創造されているもの。
・その人の責任の一部はそこにどう「寄与」しているかということ。責任の一端はその人にある。そして、責任のまた別の一端は環境にあったり他の対象の人にあったりする。
・その人が自分の自主性を発揮できるところは自分が「寄与」しているところだけ。
 (例)雨降りでイヤになるが、家にいることも選択できる。傘をさして外にいることを決めることもできるし、傘なしで外に出ていくこともできる。私は雨が降るか降らないかの選択には「寄与」できないが、雨の日にどうするかについては、自分で選択できる。
この文脈で大切なのは、「どのようにして」という言葉。どのように私が世界をプロセスしているのか、それによって意味が生まれてくる。そして私はどのようにして世界に反応しているのか。

※私は少し「寄与」という訳語に抵抗があります。「関与」の方がいいのではないか。「寄与」だとプラス評価的な意味合いが入ってくるから。

※ コラムをかきあげたあと、参加者からご意見をいただきました。許可をいただきましたので、掲載します。…なんというか、奥深い洞察が得られました。ありがとうございます。

これはcontributionの訳ですが、contribution は、con=いっしょに、tribute=貢物、ですので、貢献、寄与というのがメジャーな訳です。

しかし、貢物だけではなく、ある方向に意図的に何かを動かす、と言った意味が加わり、良いことも悪いことも使われるようです。

 

日本語の辞書では以下のように書いてあります。

- きよ【寄与】《名・ス自》役に立つ事を行うこと。貢献。 「業界に—する」

- かんよ【干与・関与】《名・ス自》関係をもち、その事にあずかること。たずさわること。かかわること。 「国政に—する」

 

寄与、は動作が含まれるものの、何か良いこと、を意味しています。

一方、関与、は関わること、が主な意味で、意図的に動かすという動作の意味は薄いように思われます。

 

とすると、

・その問題を作り出したり維持するためにクライエント自身はどう「寄与」しているのか、そこに目を向けることも促していきたい。

は、意図的に何かを動かすということを単純に表した、”行為”をしている、という意味でもよいのではないでしょうか。すなわち、

・その問題を作り出したり維持するためにクライエントは自らどんな行為をしている(エネルギーを費やしている)のか、そこに目を向けることも促していきたい。

と言い換えることができるのではないでしょうか。


レズニク博士は、contribute と それと同系統である investment という言葉をセラピー中にもしばしば使われます。

<セラピストとしてのサポート2ー問題の原因関与への促し>
・対話において、私はただ単にその人と共にいるということを注意がけているわけではない。それ自体、素敵だし受容を与えてくれるものではあるが、それだけではその人が人生の中で抱えている不満の解消にはつながらない。
・クライエントはセラピーでそれ(人生の中で抱えている不満)を治す方法を求めてくる。それは理にかなった要求。しかしそれは最も役に立つ要求というわけではない。
・どのように問題を解決するのか、というのは、劇場で行われている劇の第二幕。問題は第一幕にある。しかし人は第二幕でやってきて、第一幕の結果をなんとか解決しようとする。
 (例)美しい森の小川の脇に立っている。その小川にゴミがどんどん流れてくる。問題はこの川をどのように綺麗にするか。そこでゴミを拾って、他所へやる。でもゴミはまだどんどん来る。ゴミは問題ではない。ゴミは問題の結果として生じたもの。問題は上流の方にある。小川にゴミを投げ捨てていることに。
・初期の段階で、環境に対してどのようなことをしていたかが、今ある問題へと繋がっている。
・多くのクライエントはその問題に対して、問題を作り出す原因に何も関わっていない、と思っている。自分にはその問題の責任はない、と思っている。私はそこに同意できない。もしそうなのだとしたら、その人はそこに運命づけられているということになる。
・もし、今起こっている状況に対して、自分が何も関わっていないのだとしたら、そこを変えるための自主性というもの、そこを変えるために自分でできることが何もない、ということになる。

<セラピストとしてのサポート3ークライエントのナラティブ(リアリティ)とどう向き合うか>
・クライエントは、その人にとってのリアリティがどうかということに関して、その人自身のストーリーやナラティブを持ってやってくる。そしてそれはその人にとってのリアリティ。
・セラピーは、特に対話のセラピーは、どこで違うナラティブに触れていくか、ということ。
・クライエントの違う反応に、その「違う」というところがから何かしらに気づき、何かしらを学ぶことができる。違いがなければ、気づきはない。だから、セラピストが違う反応をしたり、違う視点を示したりすることは役に立つ。
・クライエントと共にいる、ということは、クライエントに全部合わせていくということではない。そういうふうにしてしまったら、ただの「クライエントのこだま」でしかない。自分自身がそこにいない。セラピストの自分はそこにいない。
・対話というのは、私たちが、自分とは誰なのか、そして、この人は誰なのか、ということに関わっていく、ということ。それは誰かのようになることではない。それは自分は自分として、相手は相手として、出会っていく、ということ。


最初のレクチャーは、90分ほどの長さでした。
ですが、ここまでで、まだ30分足らず。

2日目にレズニック博士は、「ホメオスタシス」に対する「ホメオリシス」なる概念を話されるのですが、
既にこの時点で、「環境の変化」にどう対応するか、という命題に触れられていたことに、今、気づきました。
…そうですね。体験を再現するだけでもう、ワクワクが止まりません。
1日目だけでも、3回ぐらいに分けてのものになりそうです。

画像は、今回の朝7時からのオンラインで一番影響を受けたアンジー。
私は朝5時起きだから、眠くはないのだけれど、
それでも、朝のお散歩がおざなりになってしまった…

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