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  4. 新鮮な魚を捕まえる〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト2〜
 

新鮮な魚を捕まえる〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト2〜

2021/05/31
新鮮な魚を捕まえる〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト2〜
29日のレクチャーの続き。

<対話の3つの主要なポイント>

1つは「プレゼンス」。在り方。セラピストがその人そのものに、そのものとしてそこにいるということ。臨床的な判断というものを持ってそこにいるわけなので、100%そのままというわけではない。

 (例)初回のセラピーでクライエントが汚い身なりで臭いをさせて来たら。臨床的な判断をもって、それに対する反応をそのまま表すことはしない。つながりがまだできていないから。しかし、1ヶ月後、2ヶ月後なら、十分なつながりもできて、そのことについてこちらの気持ちをシェアするということもできるようになっていたりする。

・「プレズンス」というものはそういったキツい匂いのようなもののようにものすごくはっきりしたものではない。興味があったりなかったり、というプレゼンスであったり、あるいは緊張している、というプレゼンスであったり。今日は大変な1日だった、疲れている、というプレゼンスであったり。クライエントに対して、今のこの時点での自分はこういう風なんですよ、というそれを示すこと。

・そこには自分が気づいているものも含まれてくる。

 (例)あなたがあまり呼吸していないことに私は気づいています。あるいは、あなたが周りをキョロキョロ見渡していて、私の方を見ていないことに気づいています。など

・こちらでそれに対して何かしらの意味づけをしようとするのではなくて、あなたがそうしていることには何かしらの意味があるのかもしれませんね、ということを。

・プレゼンスというものはセラピストがその瞬間、自分がどういうふうであるか、を相手に示すこと。そしてそこには臨床的な判断というものが幾らか含まれている。


2つ目は「インクルージョン」。「含める」「包含する」。クライエントの体験を自分に取り込むということ。自分が相手の感覚を感じることはできないが、自分がこの状況において、何を感じているかは感じることができる。

・そして、セラピストがその状況でどのような影響を受けているかということをクライエントに伝えることによって、クライエントは私たちがクライエントを見ているということを知る。

・それを明かすことによって、クライエントはこのセラピストは、ちゃんと自分を見ているということを感じることができる。あるいは聴いていてくれるんだということを。

自分がどのような影響を受けているかということを伝えることによって、そしてそこにクライエントが応えることによって、両者が出会うことになる。

・対話のスタンスにおいては、「これが私のプレゼンスです」「これが私やあなたを含めた状態です」(あと不明)

 

3つ目は「コミットメント」対話におけるコミットメントというのは、結果をコントロールしようとしない、ということ。

・取り込んで反応する、でも方向づけをしようとはしない。起こることはそのままにする。

・対話的関係性というのは、とても豊か。新鮮な機会を与えてくれる。

・その部屋の中で、クライエントがどのような意味づけをして、その起こったことに対してどのような反応をするか、クラインエントがどのように世界を見て、どのようにそこに反応するか、その人の性格、人となりというものの視点を持ってみていくこと。そのセッションの中で小宇宙が見える。

・多くの場合、そのクライエントはその部屋の中にはいない人との関係性について話す。妻や夫や上司や友人について。クライエントが持ってくるのは、一つのナラティブに過ぎない。それは、その人との関係性を持ったことに対する、その人自身の意味づけに基づくもの。その人にはそれしかないから。妻や夫や上司との間に怒ったことに対するその人版のお話。

対話的な関係性においては、「新しい魚」の可能性がある。つまり、友人や妻やあるいは子どもとの間で起こっていたことがこの部屋の中で、私とその人との関係性の中で起こることがあり得る。

・それのいいところは、ナラティブが2つになること。意味を作り出すシステムが2つになること。つまりクライエントの意味付けのシステムとセラピストの意味付けのシステムの2つがある。その2つは異なるもので、そして、2つとも正しい。

・セラピストはクライエントの意味づけを修正するわけではない。セラピストは自分なりの論理を持って、意味を持って、そのクライエントが持っている意味に対して、セラピストなりの意味づけをする。

・そこには2つの大きな利点がある。どちらもとても役に立つ。1つはクライエントもセラピストも、どのようにしてそのクライエントが、性格的にあるいはその人の人となりを持って、その状況を繰り返しているかというところを共に見始めるということ。クライエントが自己調整を中断してしまう、ダメにしてしまうのがどこなのか、というところをその場で見ていく

 (例)クライエントが突然、息を詰めて背中をギュッと縮める。それが、難度が起こっていることにセラピストが気づく。そして時々、息を詰めて、後ろにキュッとするようですね、と言う。そうなっている時、身体の中では何が起こっていますか?と聞く。何を思っていますか? 何を感じていますか? 身体の中の感覚はどうですか? と聞く。そうすると、あなたの声が大きいんですとクライエントは言ってきたりする。「ああ、そうなんですね。誰が大声で話すと、どんなことがあなたの中で志向してくるんですか?」「怖くなります。なぜならお父さんやお母さんが大声を出して私を殴っていたから」。これは過去の出来事が現在の自己調整を中断している、分かりやすい例。

・多くの場合、クライエントはそのことに気がついていない。そして私たちのワークというものはそれをやめさせることではなく、そこに目を向けさせること。

その人のプロセスに光を当てること。かつてはそうすることが理に叶うことだった。でも今この状態で、それをするのは健康なことではない。それにもかかわらず同じパターンを繰り返してしまっている。それが性格による人となりによる状況。

・その性格による行動というものは、それが始まった時には健康なものだった。健康というのはすなわち、その状況には合っていた、ということ。子どもの時に、たとえば側にいる大人が酔っ払って乱暴な行為に及んだら、息を詰めてギュッとしているのは正しいこと、健康なこと。でも25歳になっても同じようなことをしていたら、それはもはや健康ではない。相手が上司にせよバスの運転手にせよ。

対話というのは、そうしたプロセスが、二人の目で見ることによって、リアリティになっていくこと。これは特にその人がどんなふうに違いというものに対処するかをみていく。対話というものがある時、二人の人がいる時、常に違いがあるので、違いを見ることになる。

・そこで対立をするとか、やりあうということではない。ただ、違いがあるということ。

・多くの人が、違いというものを聞くと、何かしら対決とかやり合うとかいうふうに解釈しがちであるが。

対話においては、明白にその人がどういうふうに違いというものに対処するのか、そこを見ていく。たとえば、違いがあるなと気づいた時にすぐに自分の意見を翻して、こっちに同意しようとするのか、あるいは違いがあるなと気づいた時にこっちの意見を変えようとするのか、それによって対決へとつなげていくのか。あるいは違いに気づいた時に話題を変えようとするのか。

どんなふうに違いに対処しているかが、その人のトラブルへとつながることがよくある。これはカップルにおいて最もよく分かること。
・私は99.5%のセラピーは何かしら人間関係に関わる問題であると思っている。

<私が対話を好む理由>
◯  そのゲシュタルトセラピーを編成する、まとめ上げる一部として、私は対話を扱うことを好んでいる。
 1 なぜなら、その対話を使うことによって、その人の性格に対して、新鮮なアクセスができるから。
 2 つまりその人がどんなふうに習慣的に意味づけをしたり、反応したりしているのか、そこを新しい目で見ていくことができるから。
 3 そしてクライエントが違いに対してどのように対処しているのかに関して、その土台となるところを見ていくことができるし、
 4 クライエントもまたその自分がどのように違いに対処しているのかを見ていくことができるから。

◯  対話的な関係性に関して、いいところ3つ。
 1 その人の性格・習慣的なものが紐解かれる
 2 その人が違いにどういうふうに対処するのかを見ることができる
 3 時にそこに本当の出会いというものが生じる…ブーバーがいうところの「我ー汝」の関係性が生じる

<「我ー汝」の関係が生じる条件>
・まさに「触れ」、他者から「触れられる」、それは戦略的に起こせるような状況ではない。それはギフトとしてもたらされるもの。
ハートから人に触れる、あるいはもしかしたら、魂から人に触れ、触れられる。
・その人のわな(? ※聞き取れなかった)に出会えるということ。そこにヒーリングが起こるんだと哲学者のマーティン・ブーバーは言っている。
「我ー汝」の出会いというものは、自分で意図的に起こすことはできない。でも起こるに任せるということはできる。結果をコントロールしようとしないことによって。
自己調整というものは常に状況の中にある
・つまり、どこに居ようと、こういうふうに自己調整するのが楽しい、ということはない。その「状況」には、文化も含まれる。
・ある文化の中にいる人を別の文化の中にいる人のようにさせるということはするべきでない。こっちの文化の方がいい、みたいに。より個人主義的な文化もあるし、集団や集団の中でのつながりにより重きを置く文化もある。
・自己調整というものが、状況次第なんだということを本当に理解していれば、ある態度やある在り方を、別な人に輸出しようとしたりはしないはず。


どの言葉も意味が深い。深くて、瞬時に理解が追いつかなくて、聞き逃していたものが沢山ある。
(耳で聞いていて、あ、と思って意味を取るのに立ち止まってしまって、もう次の重要な言葉群が入ってきていなかった、ことに気づいた。)
まあ、仕方のないことだけど。ホント、「文字起こし」が要るなあ…と思いながら、それをやっていることに気づく。
時間がかかるけど、楽しい作業。
言葉が。立ち上がってくる。

この辺りの、「状況」の変化に対応するシステムとして、後に「ホメオリシス」(=環境に合った軌道に戻す)が登場する。
言葉って大事。
「ホメオリシス」という語を理解した上で最初のレクチャーを見直すのとそうでないのと、格段の違いがある。

多分。今回の「目玉」はこの語の紹介にあったのだろうけれど。
前置きとして、とりあえずの説明があって、それから一連のレクチャーがあった方がよかった、かもしれない。
「文字起こし」的な作業をして、やっと、レズニックさんは最初から「ホメオリシス」がキーとなることを目していたのかもしれない、と思えたので。

状況は変化する。そういった中で、生きていく環境は変化する。
その中で生存するためには、「自己調整」も変化に対応する「動的なもの」でなければならない。
という提案は、もっとも至極である。

「ホメオスタシス」と「ホメオリシス」の違いについては、2日目のまとめで。

画像は耳をそばだてるアンジー。
はい。ごめんね。朝の散歩、おざなりの日々で。ママはまとめに忙しい…

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