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  4. 洞察とは異なる「気づき」という方法〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト5〜
 

洞察とは異なる「気づき」という方法〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト5〜

2021/06/04
洞察とは異なる「気づき」という方法〜ロバート・レズニック博士のコンテンポラリー・ゲシュタルト5〜
29日分が、まだ終わらない。
二人目のワークがあって。その後。

<ワーク2後のコメント>

<質問①> ワークではなく、最後のフィードバックについて。レズニックさんはいつも「クライエントから、自分がどのように影響を受けたかについて、話してください」というふうに言うが、それがとても新鮮な感じがする。つい、クライエントに対して何か思ったことを言おうというか、そういう感じになりやすいんだけど、自分はどう影響を受けたか、という言葉を使われるところについて、少し説明してください。

・2つある。1つは、そういうふうに言ってもらわないと、クライエントは自分がみんなにどう影響を与えたのか、与えないのか、与えるとしたらどんなことなのか、ということがわからないから。井戸に小銭を落とすようなもので、ぽとんと落として耳を澄まして、あ、底に届いたな、ということに気がつくというような微かなもので。みんなの反応がどんな感じなのか、というのは言ってもらわないとなかなかわからない。感覚的に同じようなことをみんな感じているのかなとか、あるいは全然違うことを感じているのかなとか、そもそも私のワークに、みんなは関心あるのかどうなのか、ということも、言ってもらわないとわからない。
・もう1つの理由は、そういう時間を持つことによって、見ているみなさんがただ引いて見ているだけではなくて、ちゃんと、自分が感じたことを表現する機会が得られるから。ありがとうと言ったり、なんてワークなの! 怖かったよって言ったり、そういうふうに自分を表現する機会が得られるから。

<質問①–2> 特に「影響を受ける」という言葉が新鮮だったが、そこはどうでしょう?

・どんなふうに、それが自分を変えたのか、どんなふうな衝撃を自分に与えたのか、影響を与えたのか、ということを聞きたくて、そういう表現を使っている。自分が感じたことをフィードバックして欲しい。
・クライエントがワークの中でしたことに関するコメントを言うが、それが自分にどんな影響を与えたか、ということを全然言わない人もいる。言葉の違いがあると、その辺りがとても難しくなるが、同じ言語で聞いても、そういうふうなフィードバックをするというのはすごく難しいこと。

 

シェアについて

・どんなものであれ、生き残っているものというのは、つまりそれが人であれアメーバであれ、自分にとって何がよくて何が悪いのかということを、区別できなければいけない。区別できているはず。何が毒で何が栄養なのか。何をシェアすべきで、何をシェアすべきでないのか。そういうことがわかっているから生き延びている。

・そして、15人の前でシェアをするには、余りにもプライベートなことというものある。時にはそこをちゃんと区別できるということがとてもいいこと。

・このクライエントに対しては、そこのところがちょっと気に掛かったので、それが自分に留めておきたいことであれば、シェアする必要はありません、という声を掛けた。その区別が、サポートができるように言った。

・それが何なのかということがはっきりしている場合は、そこを探究していく手助けはするが、それをシェアさせようとは私はしない。

<質問②> 率直には、クライエントの自己洞察がすごいな、と。何が起きたのかな、と考えた時に、レズニックさんは安全と小さい世界の話をしていて、それでクライエントの方で気づいたのは、自分で口を閉じていること、ちょっと言葉が合わないなと思って、何なんだろう?と思った。「安全と小さい世界」の前に上手く言語表現できない、ということを言っていて、もしかしたら、ずうっとクライエントの中で起きていて、ずうっとエネルギーが溜まって、パッと中でなんとかなって、と見えたんですけど、いずれにしても「安全、小さい世界」、何かそこでジレンマを感じている中でクラエントが何か起きたのかな、と思ったのですが、どうでしょうか?

・実際に目にして耳に聞こえたのは、彼女が口を開けたり閉じたりして、口を開けたり閉じたりということを言葉で言ったこと。それ以外の部分は、解釈の部分は、私の理解したところでは、口を閉じるか開くかの選択肢が自分にある、というところ。それはつまり、主体性ということ。私には自分の口を開けるか閉じるかを決める権利があるし、そのパワーがあるんだ。それは、もしかしたらなくなった言葉を表現する言葉が見つからなかった、という体験と関係していることかもしれないし、そこは私にはわからないけれど。どれぐらいの安全を取って、どれぐらい世界を広げるということをするのか、それを決める権利とパワーは自分にはあるんだということを私は思っている。
・家から決して出なければ、自動車に轢かれる危険もない。居間にはそんなにたくさん、車は入ってこないから。だから、それくらい家から離れるのか、どfれぐらいのスペースを自分が持っていくのか、どれぐらいの安全を持っていくのか、そこは選べるところ。

1日目が終わりました。
2日目。昨日のワークの振り返り、から始まって。その中での質疑応答。

<質問③> 私自身がクライエントさんと対している時に、自分を見失う時があるので、それについてのヒントが欲しい。

・付く先生がひとりだけだと、何がゲシュタルトで、何がこの先生の個人的なものなのかという区別がつかないので。ゲシュタルト的に言うと、「イントロジェクション(鵜呑み)をして欲しくない」。区別をしていって、自分に合うなと思うものは取り入れ、自分に合わないなと思うものは押しやってほしい。
・今おっしゃったことをクライエントにシェアするということが役立つ場合もある。最初にあった時、私はちょっと緊張してました、というようなことを。そういうことを言われると、イヤだと感じるクライエントもいる。セラピストは専門家として完璧であってほしいと望むクライエントもいる。でもほとんどのクライエントはそういうふうにしてもらうと、ありがたいなと感じる。「ありがとう。私もドキドキしているんです」と。で、笑うわけ。


エンプティーチェアのワークと対話のワーク
・クライエントが解決したいと望んで持ってきた問題、そこに注意を注ぐのは重要。クライエントが今いる位置を、セラピストが今いる位置から見る、そこから出会っていく、ということが重要。自分とクライエントの間の関係性にだけ焦点を当てていると、この人は頭がおかしいんじゃないかと思われる。それを求めてきたわけではないから。だって、こっちのことはまだ全然相手は知らないわけだし。クライエントのテーマ、ないしはクライエントの「図」を尊重していく。そして、そのやりとりの中にセラピスト自分自身を持ち込んでいく
そして時に私が「新鮮な魚」と呼んでいるものが、両者の間で生じてくる。クライエントがこちらに話してくれるストーリーの中で、他の人との間で起こっていることが、そのクライエントとセラピストとの間で生じてくる。
ゲシュタルト療法の方法論は、アウェアネス、気づき。これは洞察とはすごく異なるもの。エンプティー・チェアはその気づきを促進するために、とても有用である場合がある。エンプティー・チェアとか2つの椅子を使ったワークが、自分には合っていると感じるのなら、それはそれでいい。役に立つ実験だ。違いを生み出すし、そこから気づきが生まれてくるので。
・だが、エンプティー・チェア、2つの椅子だけしか使わない、というふうになってしまうと、その人を構成しているものを知るということができなくなってしまう。その人の一部を知ることはできるが、その人が世界をどのように知覚して、どのように世界に反応しているのか、というその人を構成しているコアの部分を知ることはできないので。
・椅子のワークは、対話のワークと統合していくととてもいい。そしてまたボディーワークのバックグラウンドを持っているなら、ボディーワークも統合していくといい。
・どういうふうにその人は感じているか、の1つのあり方。感情というのは、体験のひとつのあり方でしかない。身体と感覚、身体感覚による気づきもまた、体験の一つの重要なあり方。特に呼吸と緊張がそう。
・3つ目は思考。思考は悪いものではない。パールズの言い方は、私が昨日も言ったように、なんというか、挑戦的。1960年代の半ばには、その頃の人々は本当に全部頭ばっかりという状態だった。あまり感情を、とかではなく。身体の中に居るということも全くなかった。それでパールズはバランスを取り直そうとしていた。
・でもその言い方が、それだけ聞くと思考って悪いんだ、と思わせてしまうような、そういう言い方をしていたので。パールズという人は、人をツンツンって突っついて、いろいろ議論を闘わせる、そういうふうに仕向けていく、そういうことをする人だった。
・でも実際に彼が言いたかったことは、思考がちょっと、今は多すぎるよね、感情の方はどうなの?身体の方はどうなの? ということだった。ゲシュタルトセラピーが発展していく重要な入り口となった。

ゲシュタルトセラピーの流れ
・1920年代、1930年代、フリッツとローラ・パールズは、その時代に合わせたゲシュタルトセラピーを作り上げた。そして実存主義を入れた。それから、行動主義を入れた。
そして、精神分析も取り入れた。そして現象学も取り入れた。そして対話。そして言語学も。そして「場の理論」も。ゲシュタルト精神学も。「動きと呼吸」も。
・1920年代後半のドイツにおいて、それら全てを入れたゲシュタルトセラピーを作り上げていった。そして彼らはゲシュタルトセラピーの中には、何も新しいものはないと言った。新しかったのは、その「実存する現象としての編成」。どういうふうにまとめ上げたか、という部分が新しかった。ピアノみたいなもの。88の鍵盤があって、それらの鍵盤をどのように組み合わせるか、どのような関係性を持たせるかによって、全く違う音楽が生み出されていく。ショパンとか、ロックンロールとか。ジャズとか。グレゴリア聖歌とか。すごく違う種類の音楽を見出すことができる。でも使っているのは同じ88鍵。


このあと「状況の変化」ということに対するあり方の話に移っていく。
もうちょっと…とも思うけど、ここまでで4,000字を超えているから、ここで切ります。

ピアノの話はわかりやすい。
そうね。それぞれがどんな音楽を奏でるのか。
私も丁度、43年ぶりにピアノと和解しようとしているところだから。

画像は、きちんと前を向いたアンジー。
昨日はちょっと情けない姿を暴露してしまったので。
ごめん、勝手に。…ないしょ、だったよね…

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