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仏陀が残したのは、自身の生き方〜『ブッダの<呼吸>の瞑想』お茶会〜

2021/06/12
仏陀が残したのは、自身の生き方〜『ブッダの<呼吸>の瞑想』お茶会〜
6月11日。薄曇りの午後。月に1回の『ブッダの<呼吸>の瞑想』お茶会。
いつものようにカードを引いて。そこから得る「気づき」でチェックイン。

私の引いたカードは2枚。「ガーデンシリーズ」のからは「Listen」。

Be alert; the soft chiming bells call to nearby fairies.

近くにいる妖精を呼ぶ優しいベルに気づいて… ってとこか。それから。「樹木のカード」からは「SURPRISES」。

Under the  most  ordinary  stone is an undisturbed  garden (ありふれた石の下には、邪魔されていない庭があります。)

詢晃さんから、「土地の妖精さんに、いろんなお願いをしてみたらいいんだわ」という解釈の説明が入る。
…そうか。私の居場所は、少しずつ形を成してきたけれど。
何か漠然とした「不安」もあり。

そういうことは、妖精さんにお任せすればいいのね。妖精さん、もしくは精霊という「見えない力」に。
なんとなくほっとして。今日は「セクササイズ4 喜びと幸福から糧を得る」を読む。
 
五 息を吸いながら、喜びを感じる。息を吐きながら、喜びを感じる。
六 息を吸いながら、幸福を感じる。息を吐きながら、幸福を感じる。

ここは4ヶ月前に読んだところ。
けれど、今回、私が線を引いた箇所は、また違ったところ。

幸福は喜びよりもさらに深い感情です。
ブッダが、喜びは幸福よりも純度が低いと述べたのは、そこに高揚感が混じることがあるからです。…
「今度の金曜の法話が待ちきれません」と、弟子のひとりが私に言ったことがありますが、先々のことを考えて興奮が過ぎると、今この瞬間の体験を味わうことができなくなるのです。(p.127)

ブッダは喜びをおとしめているわけではありません。
喜びは何より必要なのですが、それは超えていかなければならないのです。

感覚の河の流れには、たくさんの不快感が流れています。
私たちは、その不快さを何とかして変えたいと思います。
ブッダはそれを知って、感覚をテーマにした最初のふたつの瞑想によって、喜びと幸福で自分を満たすようにと勧めたのです。
これは、私たちに力を与えてくれる薬です。
これによって初めて、もっとも根深い、心のいちばん奥の病の源を癒す取り組みをはじめられるのです。(pp.128-129)

自分の中にたくさんの不快感に気づき、そんな自分を変えていきたい、と願った時に、
自分の心が満たされること、を作っていけば、と考えた。
自分の心が満たされることを願っていても、なかなか叶えられないなら、
どうやったら、自分の心を満たすことができるのだろう? と考えた。

自分を褒めること。
今日、何が起こったら嬉しいか、を考えること。
それから。自分に「ご褒美」を与えること。

これを私は次のカウンセリングまでの「宿題」にするのだけれど。

気持ちの落ち込みから解放されるために、毎日何をしていったらいいのか、そんな明確に「方針」があったわけではない。
苦しんでいる人を前にして、なんとか自分を救う方法を、と思って、ある時「提案」したことが、今に至っている。

この箇所を読んだときに、ああ、私の提案は間違っていなかったんだな、と思った。
しんどい時には、辛いことばかりが押し寄せてくるけれど。
ちょっと周囲を見渡せば。ちょっとした「いいこと」もある、という発見は。
辛いことばかりを見つめてしまう自分の「心の向き」を、少し変えてくれる。
…ちょっとした「いいこと」に目を向けて、辛いばかりの状況で、ほっと一息、入れてくれたらいいな、と願った。

ブッダの言葉は、より積極的に自分の中の喜びや幸福に目を向けよ、と。わかりやすい。
それは。「私たちに力を与えてくれる薬」なんだ。そうなのか。


二十四時間をすみずみまでどう使うべきかを知っている人は、一日には時間がたっぷりあると感じられます。
集中した意識が一日を長く感じさせるのです。
年長者の方が若者よりも、今この瞬間に意識を置いた密度の高い日々を送っています。
彼らは気づきと集中によって、与えられた一瞬一瞬を十分に味わっているからです。
日常のどんな瞬間も子や孫へ伝える物語です。
これは嘘ではありません。

ブッダがその模範でした。
彼が残したのは教義や理論ではなく、自身の生き方だったのです。
彼の一歩一歩は、安らぎに満ち、ゆるぎないものでした。
ブッダの慈悲は、在世時だけでなく、現在もすべての生きるものに行き渡っています。
彼の一歩一歩の歩み、一息ごとの呼吸に、一言ひとことのうちに、気づきと理解と思いやりのエネルギーが宿り、それが伝わってくるのです。
ブッダという源から、弟子たちは慈悲と智慧とを相続し続けています。
真摯に瞑想をすれば、この慈悲と癒しと幸福の源は、未来の世代へと受け継がれていくのです。(pp.132-133)


「彼が残したのは教義や理論ではなく、自身の生き方だった」!
ああ、そうなんだ。

「彼の一歩一歩は、安らぎに満ち、ゆるぎないものでした。
ブッダの慈悲は、在世時だけでなく、現在もすべての生きるものに行き渡っています。」
この箇所で思い出したのは。「呼吸の唱え(偈)」。

ブッダに呼吸してもらい
ブッダに歩んでもらう
私が呼吸することはない
私が歩むこともない

ブッダが呼吸している
ブッダが歩んでいる
私は呼吸を楽しむだけ
私は歩みを楽しむだけ

ブッダは呼吸
ブッダは歩み
私は呼吸
私は歩み

ここにあるのは呼吸だけ
ここにあるのは歩みだけ
呼吸している人はいない
歩いている人はいない

呼吸しながら安らいでいる
歩きながら安らいでいる
安らぎは呼吸
安らぎは歩み        (pp.202-203)

おりしも詢晃さんが、長谷寺の長い石段を登ったときに、この「呼吸の偈(げ)」を唱えると、まるで疲労しなかった話をされて。
そうか。そうかもしれない、と思う。
ある意味、委ねる、ということから生じる、安心。
行っているのは自分の肉体でも。
それとも。共に居てもらえる、という安心か。


話はあっちこっちに飛んで。
詢晃さんが、施術を行うときに「◯◯さんのために」と念じて行うより「世のために」と念じる方が、ご自分のエネルギーは開かれる気がする、と言われる。
この違いは何だろう? と。

私が感じたのは。「◯◯さんのために」というのは、何か…「我欲」がそこに生じる気がする、ということ。
それはもちろん、〇〇さんへの愛情に満ちたものであったとしても。
「世のために」とすると(それが相応しい言葉であるかどうかは、置いておいて)、何か…ダイレクトに〇〇さんに作用させるのではなく、
たとえば、ブッダを介して、そこに委ねて、◯◯さんに必要なものであれば、◯◯さんが受け取るように作用するだろうし、
そうでなければ、そういった作用は生じない、ような気がする、と。
…人智を超えたところでの采配に委ねるような気がする。

それは…何だろう…

ここで私がもうひとつ思い出したのは、『あなたに平和が訪れる 禅的生活のすすめ』の中に、
自分の中に、相手の中に「仏性」を認める話があって。

数年前に台湾を訪れたときのことです。
私が数名の友人と未舗装の道路を歩いていますと、道路の反対側を母親が幼い息子の手を引いて私たちのほうに歩いてきました。
その少年と目が合ったので、私は掌(てのひら)を合わせて挨拶しました。それは胸の前で手を合わせて蓮のつぼみを作るという伝統的な挨拶で、相手の中に仏陀を認めたことを意味しています。
母親に手を引かれたままで、少年は私に微笑みかけました。
それから空いた手を胸の前にもっていき、お辞儀をして、彼も私の中に仏陀を認めたことを示してくれました。
すれ違いざまに、少年は振り返って私たちのほうを見ました。
その大きく見開かれた目は、まるで私を知っていると告げているかのようで、私は前に彼と会ったことがあるような気になりました。
私は友人たちとともに立ち止まって、歩いて行く親子が視界から消えるまで見送りました。

私はこのすてきな出会いをときどき思い返しては、人はみなこのようにして互いの中に善良さと平和を認められるのだと、あらためて嬉しくなります。
私たちは知らない者同士ではありません。
私たちはみな、それぞれの仏性によってつながっているのです。(pp.54-55)


相手は今、辛い状況の中にあって、打ちひしがれているとしても。
その状態の中にも、相手の仏性を認める。
手を差しのべた、としても。それはちょっと高い位置から、ではなく。
フラットな、対等な位置からのものであって。
…その「違い」のような気がする。

「◯◯さんのために」は、そこに少しでも我欲、というか、フラットでなくなるような要因を滑り込ませてしまう、というか。
自分では気づかずにいても。
そんな気がした。

画像は、今回出された、詢晃さん手作りのゼリー。
いつもいつも、ありがとうございます。

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