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呼吸で心を解放する〜ブッダの<呼吸>の瞑想 ゆるゆるお茶会 2023年10月13日〜

2023/10/14
呼吸で心を解放する〜ブッダの<呼吸>の瞑想 ゆるゆるお茶会 2023年10月13日〜
月に1回の詢晃さんの「ゆるゆるお茶会」。
ひとしきり、近況報告をして。
詢晃さんのお手製の「今日のお菓子」をいただき。
おもむろにテキストを開く。

詢晃さん、今日のお菓子は「焼き過ぎ」とのことだったけど。
でも、メイプルシロップが、ホイップクリームに程よい甘さを添えてくれていて。
…私、ハチミツよりもメイプルシロップが好きで。
朝のヨーグルトに添えるのも、メイプルシロップ。

食いしん坊の私はパクパクと。
跡形もない状態で、テキストに向かう。

今日の箇所は「エクササイズ6 心をいたわり解放する」。


九  息を吸いながら、心に気づく。息を吐きながら、心に気づく。
十  息を吸いながら、心を幸福で満たす。息を吐きながら、心を幸福で満たす。
十一 息を吸いながら、心を集中させる。息を吐きながら、心を集中させる。
十二 息を吸いながら、心を解放する。息を吐きながら、心を解放する。

この四つの呼吸瞑想は、呼吸で心を解放していく様子を示しています。
四種の気づきを確立する経典には、「心において心を」観察するように書かれています。
心に形成される思いについても、主体と対象を隔てない不二の視線で観察することができます。
青空を見上げる時、見ている人と永遠の空との境界が消えれば、自分と青空とが深くつながっていることが感じられます。(pp.141-142)


「十六の呼吸による気づきの瞑想」をどのように日常で生かすか、という観点で<エクササイズ1>から<エクササイズ7>まであるうちの6つ目。
<エクササイズ1>で一から二、<エクササイズ2>で三、<エクササイズ3>で四、<エクササイズ4>で五と六、<エクササイズ5>で七と八を取り扱って、その後。

今さらながら、ティク・ナット・ハンさん、とても丁寧に進められていることに気づく。
そして、<エクササイズ6>は、「2021年1月7日」「2021年10月15日」「2022年2月22日」と日付が入っていて。
…そうか。詢晃さんのところのお茶会参加は2020年からだったっけ? と思い出す。
まあ。それにしても<エクササイズ6>は、たびたび読んでいるんだ。。

「心において心を」観察する。心に形成される思いについても、主体と対象を隔てない不二の視線で観察する。

私たちの心に、嫌な思いがあると。心から追い出したくなる、のは無意識にやっていることで。
でも、心から追い出して「なかったこと」にしても。
心には澱(おり)のように、溜まっていっていて。
ある閾値に達すると、爆発したり暴走したり、する。
そうすると、もうコントロール不能状態で。

自分の心が穏やかに安らかにあるためには。
追い出したくなるような嫌な感情も、「なかったこと」にはせずに、じっくりと見ないといけなくて。
そう。「主体と対象を隔てない不二の視線」で。

長いこと気になりながら、ちゃんと調べていないもののひとつに、「木村敏」さんがいて。
『人と人との間の病理』とか。『心の病理を考える』(岩波新書)、『体・こころ・生命』(講談社学術文庫)とかの著作がある精神科医だけど。
『人と人との間の病理』なんか、私が20代の頃に見つけた岩波ブックレットだけど。
病というものは、人と人との関係性の問題で生じるものではないか、というような指摘があるもので。
多分。「間主観性」という言葉が生まれる前に、そういった問題(=主体、客体と厳密に分けることができるものなのか?)に取り組んでいた人なのではないか、と思われて。(ちゃんと読んでないのに、自分の感覚だけでものを言ってすみません。。)

精神病理学の症例分析を通して「あいだ」という概念を生み出し、「自己とは何か」を追求してきた人、という捉えを私はしているのだけれど。

この「主体と対象を隔てない不二の視線」って、まさしく、そういう(=主体と客体を分けて見ない)こと、よね?

心とは、意識のなかに種として存在する心理的な現象の集合です。
それらが意識上に心の固まりとして現れるとき、気づきのチャンスが生まれます。
心の固まりが現れたらすぐ呼吸とともにそれを確かめ、さらに観察を進めていくと、それが心の全体とどう関わっているかが見えてきます。
瞑想九は、「息を吸ったり吐いたりしながら、この瞬間に心が存在する思いを確認する」という意味です。

心理的なこの形成物を意識的な呼吸で確認するとは、それを認め、受け入れ、それとひとつになることです。
ひとつになるとは、飲み込まれてしまうことではありません。
認め、受け入れ、ひとつになる働きをする主人公は、気づきのエネルギーだからです。
思いという心の形成物と気づきがひとつになったとき、思いはまったく自然によい方へと変化します。(pp.143-144)

うーん。。
「なかったこと」にしたいぐらい嫌なものであっても。「それを認め、受け入れ、それとひとつになること」を促すのか。。
しかし、それは「飲み込まれてしまうことではありません」という。
あくまでも、「観察する」立ち位置をキープする。
そこにそれがあることを認め、ただ、そこにある、ことを確認する。
すると。「思いはまったく自然によい方へと変化」する、という。

まあ。そうかもしれない。
イヤだイヤだと避けている時には、この上なくイヤなものだけど。
まあ、そんなこともあるよね、と認めたならば。それほど目障りなものではなくなっている、かもしれない。

…自分のズルさ、とか。ズルさから生じる自分の弱さ、とか。

そうね。
それを認めた上で、今何ができる? が考えられる、から。


何か、今回は一連の流れ(エクササイズ1〜7)のもとに、その位置づけを確認したような。
そういう見方を今までして来なかった、気がして。(というか、あまり、そういったことを意識してなかった気がして。)
新たな発見をしたことでした。

…木村敏さん、やっぱり早く読み返さなくては。という思いを持ちました。

画像は、この日のお茶会に出されたおやつ。

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