書を習っている書家仁科惠椒先生のご紹介で、「生誕100年 古谷蒼韻展」に出向いた。
なんでも。古谷蒼韻氏の孫弟子になるそうで。
まあ一度。観ておくのがオススメ、ということで、京都文化博物館まで行きました。
作品は、いろんなものを83点。それを時期別に展示されていて。圧巻でした。
基本的に写真OKということで。(数点のみ禁止されているだけだった。)
私がまず目を止めたのが、山頭火の句「鐵鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ)」。(2007年作)
鉄の旧字体の「鐵」。
「鎧(よろい)」に似た感じで、いかにも厳(いかめ)しい。
「鐵鉢」とは僧が托鉢に出る時の器なんだそうだ。
「鐵」の厳しさと変わって、「鉢」のちょっととぼけた感じ。
広く上に向かって口を開けているか、のような「鉢」の柔らかい感じ。
「霰」。少し墨が掠れたような感じで、なんとなく霰の白さが浮き出てくるような。
自由律俳句の一行詩を三行にする。
すると、「鐵鉢」と「霰」が対比されて浮き上がってくる。
そんな印象を受けました。
それから。私のイチオシは、「君子固窮」。

これは『論語』の言葉だそうで。
「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯に濫る。」として知られている。
ネットで調べると、
陳に在して糧を絶つ。從者病みて能く興つこと莫し。子路慍み見えて曰はく、君子も亦窮すること有るか。子曰はく、君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る。(衛靈公第十五)」とでていた。
孔子の一行が十三年間の旅に出た途中、陳の国で呉との争いに巻き込まれ、幾日も包囲されて脱出できず、食糧が尽きて弟子達は飢え苦しみ病人のように横たえて立ち上がれなくなっていた。孔子になんでもズケズケ言う子路が怒気を含んで慍みごとを言った「君子(孔子を指す)でもこんな苦しい目に遇うことがあるのですか」と。孔子言う「君子だって時には窮地に陥ることは有るさ。只その時君子は平常心を失わず冷静に対処するが、小人が窮すると濫(乱)れてなにをしでかすか知れないよ」。
ほう、そうか。「君子だって時には窮地に陥ることは有る。」なのか。「固より」とは、「いうまでもなく、もちろん」の意。
(白川静の『字通』には「固」の項に「固窮」が熟語として載せられていて、「天命に安んじて、道を守り、困窮にたえる」の意とあった。)
「君子」と「小人(しょうじん)」が対比されている句であるならば。
「君子」はもっと大きく堂々としていても良さそうなものだけど。
でも、「小人」を出さずに「君子」だけを出してきた時には。
「君子」もひょろひょろと、不安げで。
なんだか、いかにも「困ってます」風で。
笑ってしまった。
でも。そうかもしれない。「君子」だって、困っている時には不安げで。それは誰だって一緒で。
ただ、「天命に安んじて、道を守り、困窮にたえる」。耐えようと努めているだけで。
文句のひとつも言いたくなる、のを耐える。そのありようを「君子」と呼ぶのかもしれない。
そんなことを考えました。
あと、李白の「峨眉山月」と「早(つと)に白帝城を発す」は共に七言絶句なのに、一行六文字で書かれていたのは、ちょっといただけない気がした。
…うん。やっぱり、韻を踏んでいるからね。リズムは崩さないほうがいいのではないの?と思ってしまった。
それでも、まあ、いろいろと楽しめました。