「如月」 栗原 俊
寒い朝には ぼくだって
口から白い火を吐く怪獣になれる
少年の燥(かわ)いた声は
洪水の跡を一瞬のうちに凍らせる
粉々になった硝子(ガラス)の群れが
全身の皮膚の上で鬩(せめ)ぎ合う
その響きだけが流れるひかり
白い背景に疎(うと)まれて
火傷の絶えない瞳孔から
誰もいないはずの廃駅に
ときおり降り立つすがたが見える
彼らはきまって 素足に
透明な使者の靴音を溶かしている
闇の縫い目から逃げ損なった氷柱
氷柱の午睡から辷りしたたる雫
雫の朴訥さに耐える金の柄杓
柄杓の弾痕を吸い取る冷気
冷気を数珠繋ぎにする掌
脱色された葉脈は
柊の抜け殻なのだろうか
言い当てられた枯れる決意が
憧憬の後味を
傾きかけた
空へ ころがし
日が落ちると
水色の耳朶にも 鼓動が
ためらいがちに寄せはじめる
遙かな過去をいとおしむように
毎夜
残像の風葬がおこなわれるという
わたしは まだ胎動に怯える翳を
首の片側でもてあましながら
百万年前に硬直した輪郭に
ひとときの夢をなぞらえる
(詩集『出来事風』・近代文藝社・1983年刊)
まだ私は大学生の頃で、「詩芸術」という詩の投稿誌に詩を書いていて、いつだったか、ある月の「今月の推薦詩」に選ばれていたものです。『出来事風』という詩集を出されたというので、どうやら「詩芸術」の編集の方に頼んで、ご本人から詩集を送っていただいたようです。詩集を開くと、献辞がありました。ご本人からの葉書もこの詩集に挟まれていました。「佐伯祥」宛となっています。
〈…なにしろ、あの本の中の最も新しい作品でさえ、一年以上も前に作ったものですから、今の僕にとっては、見るに耐えない恥ずかしい作品ばかりなのです。特に「如月」を描いた頃は、言葉の美しさ ではなく、美しい言葉(と自分で思い込んでいたもの)に引きずられるようにして詩を書いており、人間の内面や本当の美しさには、全然目を向けようとはしていませんでした。でもそれはそれとして、佐伯さんのお手紙感激いたしました。有難う。〉
…確かに、難解な言葉と同時に、なかなかイメージしにくい言葉が連なっていて、かろうじて、視覚的に面白く感じられたのは第4連。氷柱(つらら)から始まって掌(てのひら)まで一字ずつ短くなっていて。長い氷柱から、自分の身に近い掌。
たぶん、私は最初の二行にいたく魅かれてしまったのです。
「寒い朝には ぼくだって/口から白い火を吐く怪獣になれる」
冬の朝、白い息が出ている自分を、「白い火を吐く怪獣」だなんて! なんて軽やかな発想をするんだろう!
そう感激したことを昨日のことのように覚えています。
その後、栗原俊さんとは、直接会ったことも話したこともないまま、特に交流もなく、私も詩を書かなくなって、そのままになりました。
ネットで検索をかけても、2冊目の詩集を出された、ということでもないようです。…まあ、1冊の詩集も出していない私が言えることではないですが。
今頃、どこで何をなさっているのでしょうね、と思ってご本名の「國中治」で検索したら、大谷大学文学部で現代詩を研究されている方がいらっしゃいました。…まさか、ね…?カウンセリングルーム 沙羅Sara
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