隆祥館書店から、イベント案内のお知らせを受け取ったのは12月。
ノンフィクション作家の、夫君の看取りの医療ノンフィクション『透析を止(と)めた日』発刊を記念してのトークイベント開催のお知らせだった。
「緩和ケア」は、がん患者しか受けられない? え? そうだったの?
10年前、歯肉がんに罹った父が「もう、抗がん剤はいい」と言ったので、大学病院の退院を余儀なくされた。
母が「家で看る」と言ったので、私が探したのは「在宅緩和ケア」を行なってくれるお医者さんだった。
私は本の注文と共にイベント参加をすぐさま申し込んだ。送料込みで事前に自宅に本が届くよう手配した。
真っ白な地に、筆者の名前とタイトル「透析を止めた日」のみの表紙。。。
帯には「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかったーー」とあった。
表表紙の裏、見返し部分に付けられた言葉。
夫の全身状態が悪化し、命綱であった
透析を維持することができなくなり始めたとき、
どう対処すればいいのか途方に暮れた。
医師に問うても、答えは返ってこない。
私たちには、どんな苦痛を伴おうとも。
たとえ本人の意識がなくなろうとも、
とことん透析をまわし続ける道しか示されなかった。
そして60歳と3ヶ月、人生最後の数日に
人生最大の苦しみを味わうことになった。
それは、本当に避けられぬ苦痛だったが、
今も少なからぬ疑問を抱いている。(序章より)
2006年、IPS細胞の試みが成功した、とニュースで聞いた時。
私は「ああ、これで、人は素直に死ねなくなったんだなあ」と思った記憶がある。
画期的な、医療の大躍進! のような報道をよそに、私自身は暗澹たる気持ちでいた。
なぜなら、いずれ人は死ぬ存在であるのに。それに抗う「再生医療」は。
人に「死ぬ時期」を見失わせる、気がしたからだ。
今でもやはり、「死」は医療にとっては「敗北」なのだろうか?
多分、そうね。
しかし、そうである限り、いかに延命を果たすか、のみに焦点が当てられ、
「人として、どのような最期を迎えるか」という問いには応えられない。
「病い」にのみ目が向けられ、「病いを持つ人の生き方」はバッサリと切り捨てられる。
まあ、それは。
今でも、多くの開業医だって。
母の内科を探すのに、生駒駅前のいろんな内科に行ったけど。
パソコンに向かって入力し続け、ほとんど患者に向き合ってくれない、お医者さん、とか。
ベラベラと自分のお喋りに夢中なお医者さん、とか。
ちょっとでも質問しようとしたら、「まず聞きなさい!」とお説教したお医者さん、とか。
…ホント、ろくでもなかった。
どの人も。「病い」にだけ注目している、のだろうなあと思う。
悪いけど。そんな「お医者さん」はお呼びじゃない。
母は諦めて、大きな総合病院の内科にかかることにしたけど。
私は探し続けて、ようやくひとりの「この人!」と思えるお医者さんに出会うことができた。
…ちょっと、駅2つ向こうの内科だけど。
巷の「お医者さん」がそうであるなら。
大きな病院の、いろんな設備が整っているところの「お医者さん」は、さもありなん。
まあ。最初から、余り「期待」せずにいたら、いいんだけど、ね。
「病いから救ってくれるお医者さん」は、「人生の終わり方」にも何か教えてくれるのではないか、と期待するからいけないの。
今の多くの「お医者さん」は、「人」を診てないから。
だから滅多にいない、「人を診る」お医者さんに出会うと感動する。
…しかし。多くの人の「死」を見てきたはずの「お医者さん」は。いったい、多くの人の「死」から、何を見たんだろう?
(何も見ていない、のではないか?)
「見る」とは「考える」こと。だと私は思う。
人とはどういう存在なのか、を問い続けないと、人は診られない、と思う。
トークイベントでは、「『たましいの痛み』に対する無理解」という言葉が堀川さんの口から出てきて。あ、と思った。
それから。「看取りは1対1の関係では難しい」という言葉も。私の胸に残った。
何の話かというと、親密な夫婦の関係では、相手を思い遣って、「愚痴」もこぼしにくい、ということ。
第3者が入ってくれて、ちょっと夫君も「弱音」を吐ける、というか。親密な関係ではできないこともある、という指摘には、そうか、と思った。
濃密な、いい時間でした。
リアル参加も50人以上だったと思うけど、オンライン参加も60名以上いたようで、大盛況でした。
帰りには隆祥館書店の二村さんに、2月24日に行う前川喜平さんとのトークイベントに、前川さんのご本を用意できないか、の算段を少ししてきました。
本によっては、買取の形を取らないといけないものもありそうですが、また相談していきます。