折々のことば。2025年1月27日のロバート・キャンベルの言葉。
高いところから甘い固形物がズドンと落ちるというより、幸せがぽたぽた「零(こぼ)れる」方が、幸せの実感に近いのではないか。 ロバート キャンベル
鷲田清一の解説。
努力が報われて満足という幸せもあれば、「棚からぼた餅」、恵みの零れに与(あずか)る幸せがあり、さらに不幸の種を巧みにかわし事なきを得たという幸せもある。
日本文学研究者はそこに、憂いと喜びの往還という、日本人の幸福感を見てとる。
随想「幸せは輪のように、巡りくるもの」(JAF Mate編『幸せって何だろう』所収)から。
幸せがぽたぽた「零れる」幸福感、ね。
そうかもしれない。じんわりと。穏やかに押し寄せる幸せ、の方が。嬉しいかもしれない。
昨日は。
さっちゃんの整体のお師匠さんのところの学習会(「心整体法教室」の「対話会」と「実践会」)に参加した。
初めて降り立つ京阪「樟葉(くずは)」駅。
こっそりと。アンジー連れていったのだけど。(僕も行く! 静かにしてる!って言うから。)
席に着いた途端、隣に座った参加者に見つかって。まあ、ちょっとモゾモゾ動いた、からね。
観察眼の鋭い人、だったかもしれない。整体学んでいる人だから。
「え? 何か居るの?」となって。晴れて表に顔を出し。大歓迎を受け。一緒に参加した。
リアル参加者は私の他に3名、オンライン参加者1名だったけど。
リアル参加者のうち、2名は整体を学び中の方で、もう1名は「重ね煮」の料理家さんで。
午前中の「対話会」は、「食」の話になって。その方もそれから他の方も、有機野菜の「コープ自然派」の会員で。
大事にしたいところが合う人たちで。とても心地よい時間だった。
西田聡先生には。
首・肩が辛いと申し上げたら。
早速に、そこに効く体操を教えていただいて。
(帰りの電車の中で、明らかに楽になっているのを感じました。)
何か、大きく感動したわけではないけれど。
じんわりと。穏やかに、いい時間で。
それから急いで帰ってきて、
夕方、教え子二人と40年来の友人の娘とが、映画上映のセッティングのために集まってくれて。
ああでもないこうでもないと、結局2時間ぐらい掛かって。
次回までに準備することを決め。
そのあと、漬け込んだスペアリブを振る舞い。
食べながら、おしゃべりして。これもいい時間、だった。
映画の上映会準備、結構大変だなあ。
私は安易に55インチの壁掛けテレビでDVDディスクで送られてくる映画を映したらいい、と思ってたけど。
「映画上映会って銘打って、テレビじゃまずいでしょう」と友人娘に言われ。
そうか。じゃあどうしたらいいの? となって。
リビングの吹き抜けに突っ張り棒を渡して、そこに白いシーツをかけてスクリーンにしよう! となって。
そうすると。今度はリビング上部のはめ殺しのガラス窓を塞がなきゃ、という問題が生じて。
大きな遮光布を2階から垂らして天井部分を覆う? それともガラス窓をダンボールかなにかで覆う?
まあ。次回にそれらを準備してきて、やってみよう! となった。
ありがたいね。本当に、ありがたい。
(さて。どんなふうに、会場設営仕上がるか。それは当日のお楽しみに。)
…こんなふうな、じんわりとした「幸せ」を感じる一日でありました。(1,200字)
画像は2020年12月27日に撮った(らしい)和のしつらえ。
(らしい、というのば、場所が思い出せないから。)
西田聡先生、「和」の見直しも言われていました。
たとえば。トイレが和式から洋式に変わったことでラクにはなったけど、それで衰えた身体の筋肉がある、と。
日々の姿勢を整える、ことで「身体をゆるめる」整体。私ももう少し学んでみたい気がしました。