「崖」 石垣 りん
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
(詩集『表札など』・1968年刊)
石垣りんの詩「崖」に初めて出会ったのは、確か「現代国語」の教科書教材としてでした。どのような時代の中で詩を書いて生きてきたかという、ご本人の自伝的な文章とともに、この詩があったと思います。
「美徳やら義理やら体裁やら/何やら。/火だの男だのに追いつめられて。」「とばなければならないからとびこんだ。/ゆき場のないゆき場所。/(崖はいつも女をまっさかさまにする)」という言葉に、追い詰められた女の恐怖が身に迫って感じられたのですが、それより何より怖いのは、「まだ一人も海にとどかないのだ。」という状況。
一体どこにいってしまったのか。追い詰められて死ぬのも怖いけど、死ねずに今もどこかで漂っている方がその何倍も怖い。
「死んでも死にきれない」などという言葉があるけど、それは理不尽な状況に対する無念さを表現したもの。
戦争の犠牲になった女たちが、心安らかに死ねるような状況を、残された私たちは作り出しているだろうか?という、戦後15年を経た時点での、強烈な問いかけであるように思います。
…ということは、1960年ぐらいですか。
その5年前ぐらいから「もはや戦後ではない」という高らかな宣言とともに、「高度経済成長期」が始まったのですね。
女が一人前の人間として処遇されてこなかったこれまでの歴史を考えると(男女同権も、女性の選挙権も、第2次世界大戦後ですしね)、「両性参画型社会の実現」を目指すという今の状況は、遥かに望ましい社会になって来ていると言えます。
しかし、その実現は「夫の七光り」を浴びて、ではないはずです。
女が自分の足で立って、自分の足で歩いて、そうして、男と手を携えて新しい社会を作っていこう、というのが本来の姿ではないのか。
戦後の首相夫人がこのような状態だったら、七十年経った今でも、崖から飛び降りた女たちは、未だに海にとどかないのではないか。
…そんなことを強烈に思ったことでした。
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