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  1. コラム
  2. 沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
 

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/05/07
にしのあきひろ作『えんとつ町のプペル』  
4月の末に、午後からの予定が詰まっているにもかかわらず、ちょっと遠いなあと思える葛城市まで、絵本の原画展を見に行ったのは、ネットで『えんとつ町のプペル』が無料公開されているのを見たからです。
ちょっとだけ見せるのは、アマゾンでもよくあるけれど、全部を無料公開するなんて、聞いたことなかった。
それは、お金がなかったら読めないの? という子どもたちの声に突き動かされてのことだったそうです。

けれど、よくしたもので、そういった心意気に賛同する人たちが本を買い、結局売り上げは落ちていないそうな。
すぐさま本を買おうとしたけど、原画展があるならその時に買おうと思い直しました。

さて、お話は、4000メートルの崖に囲まれて、外の世界を知らない町が舞台です。町はえんとつだらけで、煙だらけで、町の人たちは青い空も輝く星も知らないのです。
そんなある日、「ゴミ人間」がどこからかやってきて、町中の人から嫌われます。
そんな中、少年ルビッチが「ゴミ人間」に話しかけてきて、「プペル」という名を付け、毎日一緒に過ごすようになります。

少年ルビッチはプペルに、亡くなった漁師の父が話してくれた「ホシ」の話をします。
そして「信じ抜くんだ。たとえひとりになっても」という父の残した言葉も。

プペルと一緒にいることで、いじめられるようになったルビッチは、ある日プペルに別れを告げます。
ふたりが会うことはなくなり、プペルはますます汚れていき…。

ある日、いじめられて変わり果てたプペルがルビッチを訪ね、用意した船に大量の風船を膨らまして取り付け、「ホシを見に行こう!」と誘います。
ふたりは船に乗り込み、…。

あんまり書くと楽しみがなくなるので、この辺りまで。
プペルの正体が最後に分かり、ちょっと涙ぐんでしまいました。カンのいい人は気づいたかもしれませんね。ハロウィンにまつわらせてのストーリー展開となっています。

画像は大阪で開かれる「えんとつ町のプペル展」のチラシ。会場でもらいました。




会場で用意してあった、「消しゴムハンコ」。

幸せをおすそ分け
2017/05/06
穏やかな時間  
GWがゆっくりと過ぎていきます。今年のGWの前半は、マイク・リードさんのゲシュタルト ワークショップで濃密な時間を過ごし、後半は、友人たちとランチを取っておしゃべりしたりの穏やかな時間が流れていっています。

昨日はゲシュタルト仲間のともこさんがカウンセリングルームに遊びに来てくれました。
気温が25℃を越えた日で、ベランダ側の掃き出しのガラス戸を開けても暑くて、今年初めてのクーラーを入れました。

空は初夏の色合いで、おしゃべりの途中で、ともこさんがパステル画の画材一式を持って来てくれたので、5月の風物、鯉のぼりを描くことにしました。
棒状のパステルを茶こしで削って粉にして、指でゆっくり刷り込んでいく…。
ホント、自分の指を使っての表現っていいですね。
力の入れ方で、用紙に刷り込まれていく濃度が変わり、指の動かし方でも濃淡ができ…。
どうしても苦手意識が先に立つのですが、指を動かしているうちに、そういった「雑念」は飛んでいきます。

下地の白を塗り、まず空を塗り…空の色は好きな青色を選び、それに何色かを混ぜ合わせたり、重ね塗りをしたり…。
次に、雲の形を画用紙に鉛筆で描き、それをくり抜いて型紙を作り、雲を置きたい場所にその型紙を置いて、消しゴムで色を抜く。
雲を3つほど飛ばしたら、次に、鯉のぼりの形をくり抜いた型紙を置いて、消しゴムで消し、新たに青の鯉のぼりの色を選んで、尾っぽのところを指で塗り込み…。
鱗は綿棒で、型押しみたいに点々と描いていきました。

次は、緋鯉。可愛い感じにしたかったので、ピンク系の赤に赤色を混ぜて色を作りました。
目を描き、それから、ポール。

私の鯉のぼりを見て、ともこさんが「上の鯉が、まこさんみたいね。ちょっと跳ね上がって元気で。気持ち良さそう!」
と言ってくれました。
そうね。青い鯉がホント跳ね上がって、気持ち良さそうだ。
ホント、これ、私だね。でも、下の緋鯉のように、素直にまっすぐ、っていうのも私だよ。

なあんて、軽口を叩きながら、私の2作目のパステル画が出来上がりました。
ともこさん、いい時間をありがとう。


吉野弘の詩
2017/05/05
父と息子〜吉野弘の詩「I  was  born」〜  
しばらく「ゲシュタルト療法」のコラムが続いたので、今日は、吉野弘の詩「I  was  born」を。「読書への誘い」第43号で紹介したものです。

続き
ゲシュタルト療法
2017/05/04
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(5)  
2日目の、ワークに入る前にマイクが行なった質問受け付けの内容は前回紹介しましたが、質問の合間に、マイクが「一人語り」のように話した内容を記しておきたいと思います。

私の興味の1つが「若い人たちの健康」。博士号(論文)が「心療内科系の医学ー思春期の家族関係ー」だった。家族関係のどのような点が思春期の子どもに良い影響を与えているのか、あるいは悪い影響を与えているのか。奨学金を貰って、世界中のセンターを訪れた。そのうちの1つがロサンゼルスの○○病院。(※聞き取れませんでした)思春期の子どもたちの病院をディック・マッケンジーと一緒に歩いて見回っていた。

「大人が思っている問題って、若い人には解決法だったりする」私はその言葉を自分のセラピーに取り入れた。だから、「最初は問題だと思えるものが、解決法であるかもしれない」と考えてみる。

2日目のワーク直前のマイクの言葉。
「図が浮上してプロセスが展開します。クライエントがいて、私がいて、プロセスが展開する様子を味わってください。それがあなたの学習をサポートします」

2日目の最初のワークの後のマイクの言葉。
「癒しは出会いによって起こる。癒しはゲシュタルトの形成のプロセスを完結させることをいう。ゲシュタルトセラピーにおいて、中核(コア)となるのは、接触によって起こる」

この後「gestalt  formation process」についての説明が行われました。(②は『ゲシュタルト  トレーニングコース  テキスト』p.19の「気づきのサイクル(経験のサイクル)」として、トレーニングコース生には馴染みのあるものです)

① clesine → need → (※不明)-ment →calm
② sensation(感覚) → awareness(気づき<図形成>) → movilization(行動に移そうとする) → action(取りに行く) → part contact(水を取る) →suggestion(1997〜),assimilation(2005〜)(水を飲む)→withdrawal(引きこもり・うるおう)
(※( )内は「人が水を飲みたくなるプロセス」として、テキストでは説明されている)

① 図がなくなって、背景と化する
② 図が固まって、そこに居続けたら、次の瞬間、次の瞬間、と移行していく

「水を飲む」という段階の表現が「suggestion」から「assimilation」に変わった、ということでした。マイクからはそのことについての説明が特にありませんでした。「示唆・提案」から「同化・吸収」に変わった理由を聞けば良かったと、今、思っています。

「セラピストはコンタクトしている間、とても注意を払う」
「どこかで途切れたりすると…『何か言いたいけど、何と言っていいかわからない」とか「感覚はあるけど、どう言っていいのかわからない」というのが途切れの例」
「途切れがあることに気づき、口に出して行動に移すと終えることができる。それが明らかなこと。でも明らかでないこともある。話から話へ紡いでいく、それはつながりたいのに、ありのままの自分で居たいのに、別のストーリーが浮かんでしまう(状態)。」

午後から2つ目のワークが始まり、その後のマイクの言葉。
「人にとっての本当の困難というのはバランスを確立すること。で、それは時間が経つと変化する」
「子どもにとっては環境からのサポートが重要。それに対しての時間割はない。10歳までには、とか20歳までには、とかの。いくつになっても環境からのサポートは必要」

「自分にできるサポートは、自分の足で立つこと。何にも頼らないで、自分で。30歳でも80歳でも何かにもたれかかることで得られるサポートは、勿論ある。あなたは自分自身をサポート(受け入れて)していますか?」
「バランスを見つけること。周囲から自分はどれだけもらっているかということ。それによって自分という人間を定義すること。ゲシュタルトは周囲からのサポートと自分からのサポートとのバランスを大切にしてきました」

「(このワークをしたBについては)こういう愛は好きじゃない、と言えること。大事なのは彼女が自分で言えるということ。そこがポイントだった。私の観測を彼女が受け入れたのがターニングポイント」
「私は環境に過ぎない。私がBに何か言ったのは、きっかけに過ぎない。私はBがすでに知っていることを、思い出させるために言ったに過ぎない」

 「movilization →action のところで 行き詰まりがあった」
「サポートがあればできる。Bは、ハグでもなく握手でもなく、ちょこっと優しく、指を合わせることを選んだ。繊細で優しいのは彼女。それが十分だったらありがとうで終わる。それが足りなかったから、もう一方の手を出した。そして指を組んだ。」
「すべての動きはメッセージを担っている」

「自分が自分でいるって、なかなか大変。でも、楽しくやらしてもらっています」

午後からのワークはあと2つあったのですが、メモを取ることより味わうことを選んだので、記録はありません。
メモを取ると、確かに後で振り返りができるのですが、どうしても、その場で「味わう」ことが十分でなくなります。そういうジレンマにいつも苛まれます。私はだいたい、メモを取るのと取らないのと半々ぐらいにするのですが、さてそれもいいか悪いかわかりません。

メモの取り方も、出来るだけその人の息遣いが残るように、その人の言葉を移すように書き留めるのですが、そうすると、時間がかかって全部は書き取れないこと多いです。…それはいいことにしています。必要なところだけが残るのだと思えば。

濃密な二日間でした。また来年お会いしたいです。(そのように言った人が何人もいました!)

画像は最後に撮った写真。GNKのトレーニング仲間であるごおちゃんも一緒に入ってもらいました。マイクのカラフルなソックスに注目‼

ゲシュタルト療法
2017/05/03
ゲシュタルトのワークショップ〜マイク・リードさん〜(4)  
2日目のワーク内容に入る前に、前回の補足を少し。

「マイクはAさんをどのように見ていましたか?」という問いに対して、「Aが自分を見る目とは違った目で見ていた。『客観的』ではなく、『違う視点』で」という答えに対して。

 

昨年の時点だったら、おそらく私は「客観的」と「本人が自分を見る目とは違う視点」の違いがわからなかったと思います。マイクにとって「客観的」とは、自分を相手に介在させないで見ている見方、相手とはキョリを置いて「観察」しているような見方、なのではないかと私は感じています。

 

それに対して、「違う視点」とは、相手の痛み、悲しみを受け止める「関わり」を持ちながら、けれど、その「痛み」「悲しみ」の出どころとは異なる相手の在りようの可能性に視点を当てる、在り方なのではないかと。…う〜ん、説明が難しいですか?

 

Aさんは、○○という見方を自分に対して、していた。そこから「悲しみ」も「苦しみ」も生じていた。それに対してマイクは、Aさんの「悲しみ」「苦しみ」を受け止めながら、△△という見方を示し、そうすると、Aさんにどんな気づきが生まれるかを共にその場にいて待っていた、という方がわかりやすいでしょうか?

 

その時「間主観性」ということが少し分かった気がしたのです。相手との「関わり」を感じさせない「客観的」とは異なる在り方としての「間主観性」。…この場合、「待つ」というのがとても大切です。Aさんのペースで「待つ」ということ。

 

さて、2日目。

 

ワークに入る前の「チェックイン」で、「行動は『図』、意識は『地』。タイムラグがあるから、無理に行動を変えていかなくても良いという気になった」との発言に対して、マイクはこのように応じました。

 

「行動のみならず、味わってみる、体験する(ことが大切)。あっという間にさっさと終わるのではなく、だからといってやり直せと言っているわけではないですよ。何かをする時の時間のかけ方を自分で意識すること。おそらくは、何かを素早くやってしまうと、味わうことから遠ざかる」

 

「『時間をかける』と『時間を無駄にする』とは違う」

 

次に、前日のワークを終えての質問の受付がありました。

 

1 「ゲシュタルトって何?」という問いにマイクなら何と答えますか?  


ゲシュタルトというのは、「セラピーへのアプローチ」であり、「癒しへのアプローチ」でもあり、「人間としての成長へのアプローチ」である。中には人生そのものという人もいます。

 

ゲシュタルトは意識を高めるために注意を払うこと、注意を払うのは、人と人との間に起こっていること。そしてそれぞれの人が、それぞれの世界を持っていて意味付けしている。そのことが成長を助ける、あるいは阻止してしまう。いずれにせよ、ゲシュタルトは二人の人間同士の間に起こっていることに注意を払う。

 

ゲシュタルトはプロセスに焦点を当てている。そのプロセスはゲシュタルトの形においての「完結」することに焦点を当てている。ゲシュタルトセラピーでは、「解決」に縛られていない。「完結」とはプロセス。

 

(「癒し」と「セラピー」がどう違うのか? という追加質問を受けて)

マルティン・ブーバーの哲学に基づいている。「出会いによって癒す」「癒しは出会いによって生まれる」。セラピーは「完結」すること。

 

世界を創り上げるということの基本的な概念(fandamental concept)は、「図」と「地」、そこで新しい「図」が生まれるということ。(人に)興味を持てば持つほど、あなたの人への接し方は固定概念から解放される。そうすると、可能性が広がる。それはあなたのニーズが満たされることでもある。

 

2 どうして「ゲシュタルト・セラピー」は「ゲシュタルト・サイコセラピー」と言わないのか?

 

ゲシュタルトが個人だけに適応するのでなく、夫婦、家族、グループ、組織…に適応するものだから。(※少し分かりづらいのですが、マイクの捉えは、個 or 集団というもののようです)

 

3  昨日のワークで、「不安を持っていることに対してリスペクトする(認める)と言われたのに対して、半分は理解できた。不安を持つことで成長できることは理解しているが、しかし不安を感じると、「今、ここ」にいられなくなるのではないか?

 

それはそうだと思いますよ。未来に意識が行く、(それは)未来において役に立つかもしれない。(けれど私は)「あなたの不安」があなたの思うほど役に立っているか、疑問だと感じた。あなたの不安はあなたが現在に留まることを阻止している。それはなぜだろう? 

「不安」は私たちが世界を創ることの要因となっている。私が言っているのは、あなたが「今、ここ」にいることに不安を覚えるということ。(※「不安を感じる」から、「今、ここ」にいられなくなる、ではなく、「『今、ここ』にいることに不安を感じている」ということか?)

 

今日でまとめ終了と思っていましたが、長くなりましたので、続きは次回。

 

画像は、昨日の朝の杏樹(アンジー)との散歩で見つけた、ハナミズキの蕾。こんな風にして花びらが開くのですね。…知らなかった。

 

 

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