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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/03/22
『リトル ターン  Little Tern』  
ブルック・ニューマン作、リサ・ダークス絵、五木寛之訳で、2001年に集英社から出版された絵本です。
当時、五木寛之訳ということで、大々的に宣伝されていた記憶があります。
「リトル ターン」とは「小アジサシ」のこと。
ある小アジサシが、或る日突然、飛べなくなって…ということで物語は始まります。

主人公の小アジサシの「ひとり語り」という形で進んでいくのですが、この小アジサシくん、やたらと理屈っぽい。
非常に哲学的に自己分析していくのです。
あれこれ、翼、羽、脚…と自分の「部品」をチェックするのですが、どこも異常なしという結果で、そして早い段階で、次の考えに辿り着くのです。

「そして結局、ぼくは、自分の内面が壊れたとの結論に達したのだ」

…まあ、こうなると、小アジサシ、と思わない方がいいですね。
小アジサシの姿をした人間、とでも。
そして、「飛べない生活」に突入した彼は、飛んでいた頃には気づかなかったあれこれを発見していきます。
そうして、どのようにして飛べるようになったか。…ネタバレになってはいけないので、ここでやめますが、この哲学的な小アジサシに、私は不調に陥った人間の姿を見ました。

これまで当たり前にやってきたことが、ある日突然、理由もわからず出来なくなる。
何がいけないのかと、あれこれ探ってみるけど、一向にわからない。
身体はどこも悪くない、ということしかわからない。
ただ、焦りだけが自分の中で一杯になっていく…。そして、焦れば焦るほど、アリ地獄にはまり込んだアリのように、もっと足を取られて身動きできなくなっていく…。

この小アジサシが賢明なのは、どこも悪くないとわかった後、無理矢理飛ぼうとしなかったことですね。
地面に張り付いた生活を始めたことです。
その生活で発見したことを元にまた、飛べない自分について考える。
これはまるで、「おこもり生活」と同じですね。
学校に行けなくなったら、学校に行くことばかりを考えるのではなく、「学校に行かない生活」の中で、あれこれ考える、というのもアリなのではないか、と問われている気がします。
訳者のあとがきの一部を紹介してこのコラムを終えたいと思います。

「思うに、二十世紀は高く飛ぼうとする時代だった。
いまは逆に飛べなくなって呆然としている鳥たちの時代だ。
そういう時に、この物語が登場するというところがおもしろい。この本は必ずしも多くの普通の人に読まれる本ではないのではないか。
飛べないことで悩んでいる人、急に飛べなくなって困惑している友に、この一冊をそっと手渡したい。」

母との暮らし
2017/03/21
知多半島の海岸で  
昨日は朝から知多半島の南端に日の出を見に行ったあと、宿に戻って朝食を取って、それから伊勢湾沿いに車を走らせることにしました。
一昨日は、西念寺での彼岸会法要の後の講話を聞いたあと、高校時の同級生(実は、小、中、高と一緒だった!のに、一度も同じクラスでない)の歌を聴きにライブハウスに立ち寄りました。名古屋市を出るのが少し遅くなって、高速道路で知多半島の南端まで走ったので、まるで海岸線から離れた山の中、でした。甘いものより煎餅類が好きな母は、途中で「えびせん」を売っているらしいよ、という情報をあげると、「欲しい!」と。「そっち側通って帰ろうよ!」と大いに乗り気。「…花より団子、景色より食い気…」と呟きながら、「なんて?」と聞く母に「なあんにも」と答えながら、出発しました。

よく晴れて、ほとんど雲がかかっていない青い空を眺めながら、ゆっくりと車を走らせました。

途中、砂浜に降りられる場所があったので、車を止めて、歩いてみました。「杏樹(アンジー)、波にどうするかな?」と母が好奇心満々で、それで、波打ち際を歩かせることにしました。実は、4ヶ月ぐらいの子犬の時に、山口の周防大島に連れて行っているのですが、でも、記憶ないかなあと思ったら、やっぱり海の記憶がないようでした。引く波に釣られて追いかけて、でも、寄せる波にびっくりして逃げて、を何回か繰り返しました。

「ワンコってやっぱり三歳児なんやなあ!」と母はご機嫌で、「子どもとおんなじ反応するわ。」と大はしゃぎ。「…いやあ…、お母さんも同じやけど…。」と心の中で呟きながら、にこやかに「そうやね。」と返す私でした。

画像は、海水をなめてみたアンジーがペロリと舌を出しているところ。…辛かったでしょ?

ゲシュタルト療法
2017/03/20
西念寺 彼岸会での講話 「いのちの問題とどう向き合うか」  

ゲシュタルト仲間のかずりんがフェイスブックで「いいね!」していたので、何?と思ってチェックした、西念寺彼岸会での講話「いのちの問題とどう向き合うか」。

ちょうど母が「名古屋コーチン食べに行きたい!」と言ってきたので、じゃあ、連れてってあげるか、と思って「行く?」って聞いたら「行く行く!」と二つ返事で返ってきました。「私は西念寺での講話を聞きたいから、その間、別行動する?」と言ったら「そんな…知らんところで放り出されても…」と、一緒に講話を聞くということでした。

 

西念寺の住職さんがお話になるのかと思ったら、なんと、禅宗の住職さんがお話になるそうで、フェイスブックの紹介には、「岐阜県関市にある大禅寺のご住職で、僧侶の本業のかたわら若者を中心に、対面だけでなくネットやメールも使った独自の自死防止相談活動を行っておられる根本師にいのちの問題についてお話いただきます。当山住職も所属している『いのちに向き合う宗教者の会』の代表でもあり、ご一緒に活動させていただいています。」とのことでした。

 

宗派を超えて、ってなんか凄いなあ、と、それだけでも魅せられて、名古屋行きを決めたのでした。

 

それから杏樹(アンジー)連れでも泊まれるところを予約し、経路を調べて、176㎞、約3時間の行程であることがわかりました。

 

午後1時半過ぎから根本紹徹師の紹介が始まり、引き続き講話。印象に残った「体感年齢を伸ばそう」についてまとめます。

 

歳を取るほど年々、時間が早く感じるのは、行きてきた年数に合わせて時間は進むから。たとえば、2歳なら1/2の時間感覚で1年が過ぎるから長いけど、10歳なら1/10の感覚だから、5倍の速さになるし、20歳なら1/20になるから、2歳の時の10倍の速さ。皆さんは20歳を何回か繰り返された歳だから…、もう言わなくてもわかりますね。…と笑いを取りながらのご説明。

 

でもそういった時間感覚よりも、「慣れ」て心が動かなくなることの方がもっと影響が大きい、と。さっき、休憩時間に美味しいお饅頭をいただきましたが、これが、5個にもなると、最初の「ああ、美味しい!」という感動は薄れますね。…とこれまた、笑いを取りながら、「心が動かなくなる」というのが、いけないんです、と。

 

だから、思考を止めて、五感や感情を働かせることをしていきましょう、と言われました。…なんだ、ゲシュタルト(療法)と同じじゃない! 思考の働きを否定するわけではないけれど、現代人はそれに偏りすぎてるから、それを一旦手放すことを勧めるのです。…確か、チーム医療主催のゲシュタルト療法プレトレーニングのキャッチコピーも「頭のスイッチを切ろう   〜ゲシュタルトを学ぶ過程は、何かを学ぶことではなく、今まで学んてきたことを外していくこと〜」でした。

 

座禅も、読経もみんな、頭の中を空っぽにする作業なのです、と。速読を20分間行うと、鬱状態が改善されるそうです、とも言われました。さっきの読経、ちょっと速いなあと思われたでしょう? あれぐらい速かったら、ついていくのに精一杯で、何も考えてられないでしょう? と。

 

…そうか、仏教の「修行」のあれこれは、無心になる方法だったんだ、と気づきました。そういう「目的」が明確だと、宗派を超えることができる。山を登るのに、登り道はひとつではないのだから、と思いました。

 

思考に偏ることがなぜいけないか。ゲシュタルト療法のワークで「思考は、既に終わっているはずの過去にとどまったり、まだ起きてもない未来のあれこれを心配したり、『今、ここ』にいないことが問題なのです。『今、ここ』にいる自分を味わっていないことでさまざまな問題を作り出している。だから思考を止めるのです。」と言われたことを思い出します。

 

そうでした。私も子どもが「おこもり」して苦しかった時、「今しなければいけない仕事」が救いでした。考えても考えてもどうしようもないあれこれは、過去に「こうしていれば…」という後悔や「これからどうなるの?」という未来についての不安に基づいていました。だけど、それをストップさせるのが難しくて、苦しみました。

 

「考えるの、やめたら?」というアドバイスは全く意味をなさない。気づけばもう考えているのだから。だから「心がけ」的なことでなく、具体的な座禅とか読経とか、そういったことが有効なのですね。ゲシュタルト療法の「気づきのワーク」や、ボイスアートのさまざまな呼吸法と同様に。

 

そして、ゲシュタルト療法のワークにはファシリテーターがいてくれるように、座禅や読経にも「お坊さん」がそばにいてくれるのですね。ひとりで行うのではなく、寄り添う人がいてくれる、というのが、そもそも「救い」のような気がしました。

 

「体感年齢を伸ばそう」とは、「心が動く=体感」することで、それぞれに決められた寿命を伸ばしていきましょう、という意味でした。それは、自分の人生を深く味わう、ということですね。限りある命ですが、一瞬が永遠につながるほど「心が動い」たならば、それは寿命を伸ばしていることと同じ、ということですね。と私は理解しました。

 

仏教の宗派を超えるだけでなく、心穏やかに、満たされた自分を生み出す方法として、ゲシュタルト療法も呼吸法も繋がってくる!ということは、私にとって限りなく嬉しい発見でした。

 

 


心理療法
2017/03/18
KSCC統合的心理療法セミナー(5)ーW講師による、ケース スーパービジョンー  
最後に、東豊先生と野末武義先生による「ケーススーパービジョン」に入りました。「臨床事例」は、「夫の定年を前にして、家事を教えようとする妻が、なかなか上手くならない夫に対して苛立ってしまう」というものでした。最初は妻一人でカウンセリングに来たけれど、「夫も連れて来ます」ということで夫婦でのカウンセリングになったということでした。

事例報告者から逐語的な記録が提示され、3パートに分けて、随時に参加者から質問を受け付けたり、二人の講師からのコメントがあったりしました。(資料は、研修後回収)

まず、最初の部分で、東先生から「家族の構成メンバーが知りたい」との質問がありました。これは、「今後、誰がどう動く子どができるか?」を確認するためだと言われました。家族構成は夫婦以外に、長女、長男で、両方共30代。まだ結婚はしていない、とのことでした。仕事もしていて、両親には余り関わってこない、ということでした。

野末先生は、「夫は、どのように妻に言われて、それをどう思ってカウンセリングに来たのか?」と聞かれました。「妻から、もっとできるはずなのになかなか出来ない、それで困って相談に行きたい」と言われ、それに夫も同意している、とのことでした。続けて、「なんでこの段階で来たんだろう?」と質問されました。妻の両親は健在かどうか、聞かれました。つまり、「親の亡くなった年齢に近くなったら鬱っぽくなる人もいる」ということで、それを気にかけていらっしゃいました。「それともempty nest?」と言われたので、ん? empty nest?空の巣症候群? ああ、何か喪失体験を言われているのか、と思いました。妻の両親は、妻の最初の結婚時には健在だったようですが、上の子が生まれた時に亡くなった、とのことでした。ここで、妻は今の夫とは再婚で、姉は、先夫との間にできた子であることがわかりました。(夫は初婚)
その他、野末先生からは、「セラピストはふたりとも、うなづけることを最初に言うことが大切」という指摘がありました。

次の部分で、妻の夫に対するDVが出て来ました。すぐさま東先生から、「あなたはそのままカウンセリングを続けたのですか? 僕ならもうここでアウトですよ。」と言われました。継続するなら「暴力をしない、という契約のもとでセラピーを継続する」と。契約できないなら、セラピーは打ち切りだし、DV対策も含め、対応できるところにリファーする、と言われました。

東先生の強い語調に、私を含め参加者は、ちょっと、え? という反応だったと思うのですが、引き続き先生が「だって、そうでしょう? これが、夫から妻への暴力だったら、皆さんすぐにDV、と思って対応するでしょ? なのに、妻から夫ならいいんですか? まあいいか、になるんですか? それは、明らかにジェンダーバイアスがかかっているでしょう?」と言われて、ハッとしました。

「皆さん、よろしいですか、セラピストの陥りやすい間違いは、共感することを訓練されているから、『この人もこの人なりの傷つきがあるのだから、と暴力を甘く受け止めてしまうことですよ。『受容』『共感』に反すると思うからでしょうか?」

「妻自身が、暴力的な家庭に育ったのでしたね。そうすると、『子どもの時に嫌だったことを、今自分自身がやっている。そのことをどう思うのか?』と妻に問うべきなんですよ。そうでないと不適切な養育の反復が起こる。」

「ダメなことはダメと言うことで、関係が深まるのですよ。」

野末先生からも「暴力を振るう前に何が起こっているかを見る必要がある。怒りの前に傷つきがある。『暴力を続けていると二人の関係を壊すことになるけれど、その覚悟はあるのか』と聞く必要がある。悪循環を作っているのは妻なのだから。」という言葉がありました。「『暴力を振るって、結果、何かいいことはあったのか?』とメタ認知させることも必要」と言われました。

さらに、野末先生からは、「もう少しセラピスト主導でいいのではないか? 夫婦合同面接と個人面接とを組み合わせ、妻の個人面接だけでするという選択があっても良かったのでは」とのコメントでした。「夫との個人面接では、どのように妻と関わるか、アサーション的な関わりを勧めること、また、『暴力を受けている、この関係でいいのか? どこまでそれに付き合うのか?』を夫に聞く必要がある」と言われました。

最後の部分からは、妻の躁鬱が疑われる状態が示され、参加者からも医療機関との連携はできないのか、といった質問もありました。

野末先生は「妻の鬱ってどんなものなのか、源家族の時のキズつき? 個人としてのキズつき? それを聞いてみて、本人が触れたくないようなら『なぜ触れたくないのか』と聞く必要がある」と言われました。野末先生が(これとは別に)合同面接のトレーニングを見ていて、傾向として「なぜ、それ以上聞かないの?」と思われることが多々あるそうです。クライエントの話される言葉だけを拾ってそのまま受け止めてしまう。「踏み込み過ぎ」を恐れるのか? と。

「エモーション・フォーカスト・セラピー」はそうじゃないはず。丁寧に関わるということは言ってないことに触れないことではない。それは本当の受容でも、本当の共感でもない。

また、「循環的に何が起こっているか」への気づきを促すこと、「結局は本人にとってプラスのことはない」に気づかせることも、「共感」になる、と。「クライエントの視野を広げる」こともセラピストに必要なことで、それは次へのステップになる、と。

他の事例として、「親に謝罪させたい」と要求してきたクライエントに対して、断った、という話をされました。「自分のやっていることが自分にとってプラスになっていない」ことをきちんと伝えたそうです。

東先生は、「限界設定が必要」という話をされました。それはまず、セラピスト側の問題として、「問題と思う意識が出てくるものは、自分が苦手としているものなんだ」ということだそうです。それは悪いことではなく、人間誰しもオールマイティーではない、とのこと。その場合、リファーできる関係機関を数多く持っているか、が大事だと。そして、リファーする場合は、クライエントにもそのことを聞くこと、と。

あっという間の2時間半でした。本当に考える視点をたくさんいただいた、実り多い時間でした。

画像は、自宅の階段。お気に入りのミュシャのリトグラフが、下半分になってしまいました。

補注)エモーション・フォーカスト・セラピー
感情とはいわば「自己の内なる他者」であり、自己を破壊するものにも自己を構成するものにもなりうる。EFT(エモーション・フォーカスト・セラピー)は、神経科学や基礎心理学の最新知見、「空の椅子の対話」「二つの椅子の対話」という特徴的な技法、多様な心理療法の統合によって、この感情という未知の領域を踏み分け、感情調整を試み、かつてない自分に変容するための好機(chance)としていく。EFTの創始者は、レスリー・グリーンバーグ。

補注に対する感想)う〜ん…エンプティチェアー(空椅子)は、ゲシュタルト療法ではなかった? レスリー・グリーンバーグって何者?  もうちょっと調べます。




心理療法
2017/03/17
KSCC統合的心理療法セミナー(4) ー野末 武義 先生 ③ー  
個人面接と夫婦・家族合同面接の比較をするにあたって、まず、それぞれの「メリット」と「難しさ・留意点」を整理されました。それは次のとおりです。

<個人面接のメリット>
  ・  目の前にいるクライエントの語りに集中することができ、観察も複雑ではない。
  ・  信頼関係を築くことはさほど難しくない。
  ・  クライエントは家族の反応を気にしないで自由に話をすることができる。
  ・  セラピストは、クライエントと家族との葛藤や衝突に直接介入する必要はない。
  ・  クライエントと家族との境界を明確にすることができる。
  ・  セラピストは、自分の価値観とクライエントの価値観が違っていたとしても、クライエントに合わせて尊重することはさほど難しくはない。

 <個人面接の難しさと留意点>
  ・  クライエントが語る家族像や家族との関係は、あくまでもそのクライエントにとっての心的現実であり、実際の人物や関係とは異なることが珍しくない。
  ・  クライエントと家族との実際の関係やコミュニケーション・悪循環を観察することができない。
  ・  クライエントと家族とのコミュニケーション・悪循環に直接介入できないので、クライエントが変化するしかない。
  ・  クライエントの感情や認知が変化しても、家族との関係は変わらないことがある。
  ・  クライエントの肯定的な変化は、家族には否定的に捉えられることがある。
  ・  セラピストがクライエントやパートナーとの関係に与えている影響を意識化しにくい。
          ①  うなずきもクライエントに影響を与える。
          ②  セラピストとクライエントが秘密を共有することによるパートナーの排除
          ③  見えない三角関係に巻き込まれる危険性:セラピストが促進する離婚(therapist–assisted divorce)

いやあ…、これにはびっくり! でした。最初の「心的現実」は認識していましたが、それ以外の指摘は、ホント目から鱗、でした。特に最後の項目は、そうなのか…と、考え込んでしまいました。

<夫婦・家族合同面接のメリット>
  ・  一人ひとりの言い分を公平に聴くことができ、それぞれの違いも明確になる。
  ・  クライエントと家族の個人としての特徴や、コミュニケーション・悪循環を直に観察することができる。
  ・  セッションの中で夫婦・親子の関係や葛藤に直接介入し、変化をもたらすことができる。
          ①  語りの少ないメンバー、パワーの弱いメンバーの自己表現の促進
          ②  語りすぎるメンバー、パワーの強いメンバーの聴く姿勢の促進
          ③  より公平な関係へ:衝突・喧嘩から対話へ
  ・  複数のメンバーに同時に同じメッセージを伝えることができる。
  ・  関係の中での自己理解・他者理解・関係性理解の促進
  ・  セラピストの関わり方が、家族と関わる時のモデルとなる。
  ・  症状を抱えている個人のサポート資源として家族の理解や協力を得られやすくなる。

この中での私の発見は、「セラピストの関わり方が、家族と関わる時のモデルとなる」ということでした。…そうなんですね。セラピストは「関わり方のモデル」を体現しているのですね。…確かに。言われてみればそうなのですが、意識して考えていませんでした。

<夫婦・家族合同面接の難しさと留意点>
  ・  家族全員が同じ目的・動機・意欲で来談しているとは限らない。
  ・  家族と同席していることで、語りにくいことが生じる可能性がある。
  ・  複数のメンバーがいるので、より複雑な観察が要求される。
  ・  セラピストは、セッション中に生じる家族の葛藤・衝突に対処しなければならない。
  ・  葛藤状態にある家族とセラピストとの適切な距離の難しさ。
  ・  セラピストの価値観が家族のいずれかの価値観と似ていて他と大きく異なる時、セラピスト自身の感情的反応に気づき、その影響を適切にモニタリングしていないと、否定的な影響を及ぼす可能性がある。
  ・  もし、家族に内緒で一人で面接を受けに来たいと言われたら、どうしたら良いか。

「セラピストは、セッション中に生じる家族の葛藤・衝突に対処しなければならない」ことの補足説明として、「どのタイミングでとめるかか、が大事」と言われました。家族間の言い争いを、どの時点で介入してとめるか、という意味です。衝突がこれまで顕在化していなかったのなら、少し出させた方がいい、という判断もあり得るということか、と理解しました。

また、最後の項目については、「ケースバイケース」と言われながらも、「パートナーや家族にそのことを話していますか?」「どう言われましたか?」というように、パートナーや家族がそのことを了解していることを要求し、OKなら引き受ける、と言われました。特定の家族との「秘密を共有」することは、その後のセッションを続けて行く上で危険だから、ということでした。それで、「言いたくない」と言われたら、なぜか? と聞く、ということも言われました。

「セラピストの価値観が家族のいずれかの価値観と似ていて他と大きく異なる時」など、確かにそのことをうっすら意識はしていましたが、このように明確に言語化されて、問題がはっきり認識できました。

という流れから、「個人面接と合同面接の併用」(Feldman,1992)を紹介されました。

    ・  対称型:合同面接と個人面接を交互に同じ頻度で実施する。
    ・  非対称合同面接主導型:合同面接をより多く行い、それよりも少なく個人面接を組み入れる。
    ・  非対称個人面接主導型:個人面接を主とし、合同面接を組み入れる。

印象に残ったのは、最後の先生の補足説明でした。特にパートナとのセラピーについてです。「セラピーにくるから関係を維持したいと考えているかどうかは定かではない。修復したいかどうかもわからないから、確認したくてくる場合もある。」なるほど。全くそうですね。最初からセラピストが「関係修復したいのだろう」と決めつけてはいけませんね。その辺りのクライエントの心のひだを丁寧に聴き取って行くことが必要ですね。

この後、東豊先生と野末武義先生のダブル講師によるケーススーパービジョンが行われました。これは、次回。

画像は、自宅の玄関。「Rカフェ」のまねをして、昨年、奈良に帰った時に、壁に時計を取り付けてみました。

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