…なんだか怖いですね。最後のセリフがなんとも。
これから先、何度も「当事者」という言葉を噛み締めるんでしょうか。
何か、「覚悟」を迫られるようなそんな緊迫感があります。
鬱(うつ)に陥った人の心情も、これに近いものがあるかもしれません。
眠れなくなるよ、そして判断力がなくなる…、いつも「どうしよう」って気持ちになって、落ち着かない。
そんな症状を、知識として知っているのと、実際に自分がそうなるのと、全然違います。
なぜかわからないまま、そんな症状に振り回される。
自分が自分でないような、自分が自分の手の届く範囲にいないような、そんな焦燥感。
けれど、実際に母と暮らした池下和彦さんは、聞いていたのと違うものを「発見」する。
「つづき」 池下和彦
うたこ
だんだん
ばかになる
どうかたすけて
起きぬけ
母はそう言って私にすがりつく
だれが
この病を
老年痴呆と名づけたのだろうか
かつて私は
こんなに賢いさけびをきいたことがない
私は
母のまねをしてすがりつく
「痴呆」って何もわからなくなるから、本人は楽なんだ、と聞いたことあります。
でも、違うんですね。
自分が誰なのか、どこにいるのか、どうなっていくのか、わからないから不安になる。
全く、うつ状態と同じですね。
…自分はどうなってしまったんだろう、これからどうなっていくんだろうと、不安に駆られる。
そんな時には、ただ、そばに居ることしかできないんですね。
だから「私は/母のまねをしてすがりつく」。
「寄り添う」というのは、消極的な対応ではなく、積極的な対応。
まずは、ただ居る、ということ。いいも悪いもなく、ただ一緒に居るということ。
そうやって過ごしてきた池下和彦さんだから、母、歌子さんが亡くなった後、「いつ」という詩が生まれたのだと思います。
「いつ」 池下和彦
一人でトイレにいかれなくなったのはいつ
一人で歩けなくなったのはいつ
一人で食べられなくなったのはいつ
一人で風呂に入れなくなったのはいつ
どれもいつからと答えられない
看病でもなく介護でもなく
いっしょにくらしているだけだったから
ああ、そうなんですね。
「看病でもなく介護でもなく/いっしょにくらしているだけだったから」。
なんというか…とてつもなく大きなプレゼントをもらったような気がしています。
…そうか…、これから母と暮らしていくのは、いろんな気負いを持たずに「いっしょにくらしていく」ことだけを考えていればいいのか…。
カウンセリングルームに来られるクライエントさんとも、うずくまっていらっしゃる時には共にそばにいて、手を差し出して、立ち上がる方法をお伝えして、それからまた、共に生きていく気持ちで私はいます。
うずくまっているのは、ずっとではないですものね。
自分の足で歩いて行けますもの。
いい詩集を手渡してもらいました。
今度会ったら、「ありがとう」と伝えたいと思います。
カウンセリングルーム 沙羅Sara
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