昨日は、2017年度 第6回 KSCC統合的心理療法セミナーに参加してきました。
「システムズ・アプローチとナラティブ・セラピー」というテーマで、神戸松蔭女子学院大学の坂本真佐哉先生と龍谷大学の東豊先生のW講師での企画。
まずは、坂本先生の「ナラティブ・セラピーわたしの実践」と題された105分のご講義。
「ナラティブ」って何? から始まって。
「人は物語を作りながら生きる」ということを説明するための例として、芥川龍之介の小説「桃太郎」を提示されました。
芥川にこんな作品があること自体、知らなかったのですけれど。
まあ、言ってみれば、「鬼側」から見た「桃太郎物語」。
成人したにも関わらず、ロクに働きもしない桃太郎が、気まぐれに「鬼退治」に行くと言い出して。
爺さまも婆さまも桃太郎の言うがままに、準備してやって。(ちょっと、厄介払い的な感じだったかも。)
鬼たちは穏やかに暮らしていたのですけれど。そこへ桃太郎が「成敗」にやって来て。
鬼たちは、「成敗」されなければならない理由がわからなくて。
それで、桃太郎に聞いた、と言うんです。
「私たちは何か、とんでもないことをしでかしたのでしょうか?」と。
すると、桃太郎は「問答無用」と言って斬りつけた、と。
ま、迷惑な話。
そう言えば、2年ぐらい前に「広告大賞」に入った作品で「うちの父ちゃんは、桃太郎という奴に殺されました。」というキャッチコピーがあったっけ。
と思い出していたら、坂本先生もそのことを言われていました。
つまり、桃太郎の「鬼退治」は、どちらの立場で見ていくかによってその意味が異なり、全くストーリーが異なる、ということ。
だから、例えば、息子が不登校で…といった時のストーリーも、どの立場から見ていくかによって全く違った意味を持つ、別の「物語」となる、ということ。
さらに先生は、小川未明の「千代紙の春」を紹介されました。
病気がちの孫のために婆さまが鯉を買い求めにいったのだけど、引き渡しの時に、あまりにその鯉が動かなかったものだから、本当に生きているのだろうかと一瞬油断したら、鯉が逃げていった。
売り手の爺さまも、家で腹を空かせた孫がおるもんだから代金を請求する。
婆さまは品物を受け取っていないんだから、と払おうとしない。
通りかかった者が話を聞いて、「そりゃあ、婆さま、死んだと思った鯉が生きていたんだから、縁起が良い。孫の病気も治る。」と言われ、気を良くして、代金を払うことにした。
家に帰って嫁さんになんで逃げた鯉に代金を払ったのかと責められたけれど、帰って来た息子には、
「そりゃあ、縁起のいいことだ」と言われて、みんなが納得して、孫も元気になっていって。
鯉が逃げたという「事実」は変わらないけれど、その後のプロットの拾い方でストーリーが変わる、という例として示されたのです。
だから、ナラティブ・セラピーは「事実」までもなかったことにするのではない。
事実は事実として、それについてコミュニケーションすることによって、受け止め方が変わる、と。
学校に行かない子どものストーリーも、どのプロットを拾ってくるかによって、親自身の子どもへの見方が変わる。
そうすると、「困ったことをしでかす子ども」ではなく、「子ども自身も困っている」のなら、家族がなんとかしてやれないか、と家族のとらえが変わり、関わりが変わる。
これまでとコミュニケーションが変わることで何か動いていくものが生じ、家族の「システム」(=関係性)が変わる。
と、このように「人」が問題なのではなく、「問題」だけを「問題」として扱っていく考え方を取るのが、ナラティブ・セラピーだということでした。
広義のナラティブ・セラピーとして「社会構成主義心理療法」があるのですが、その考え方は、
・現実は、ただ1つの事実というわけではなく、コミュニケーションを通じて社会的に構成される、と考える。
・会話を続けることで、新たな現実を共に生み出していく。
というもの。
「社会構成主義の考え方が臨床現場にもたらすもの」は、
・問題(病態や状態)は、真実で揺るぎないものではなく、周囲の評価も含め、変化するものである、と理解できること。
・対話(会話)を重ねることにより答えを探すというよりも、新たな意味が生成され、そのこと自体が「変化」につながると考えることができること。
である、と。
だから、ナラティブ・セラピーにおける「ストーリー」とは、
・出来事が、
・(過去・現在・未来の)時間軸上で
・連続してつなげられて
・プロット(因果関係のある筋)になったもの
と定義できるようです。
そして、「人は問題ではない、問題が問題である」という新たなストーリーを作っていくのだ、と。
・「問題」は人の中にあるというよりも、社会の中で時代や文化に影響を受けながら「問題」として認識されるものである。
・よって、人の内部に「問題」があるというよりも、当事者も「問題」に苦しめられていると考える。
・関係者みなで「問題」に対抗するチームワークを形成する。
という考え方をしていくようです。
興味深かったのは「ダブルリスニング」という考え方。
これは、「困りごと」の裏返しである希望や願い、ニーズのこと、あるいは「困りごと」の対する「例外」。
「例外」とは「問題のない時」や「問題に対してうまくやれている時」「問題が気にならない時」などで、なぜその「例外」に注目するかというと、「問題のない時の状態に、その人たちの工夫や努力が詰まっている」と見るからなのだそうです。
ああそうなのか!と思いました。
うつ状態だとしても、一日中、調子が悪いわけではない。
それほどでもない状態はどんな風にして生み出されたかをとらえ、そこにその人の工夫や努力を見出し、今度はその「転換」を意図的に作る働きかけをしていく。
そこがセラピストの「仕事」ということなのだ、と理解しました。
つまり、まずはセラピストの立ち位置、というかスタンスが、問題解決の出発点なのですね。
最後に、配布された資料にあった「ナラティブ・セラピーの特徴とは?」を紹介しておきたいと思います。
・ナラティブ・セラピストの立場は、クライエントと共に「問題に対抗する」立場。
・脱中心主義による「荷下ろし」と共同作業。
・クライエントのストーリーに対する健全な好奇心によって対話が重ねられる。
・対話が重ねられ、新たな意味が生成されることによって「解決」ではなく、新たなストーリーへと導かれる。
・透明性と平等性とを追求するという倫理性。
非常に興味深いご講義でした。
長くなったので、東豊先生のご講義は次回に。
画像は、お昼を取った、淀屋橋の喫茶店。