昨日の朝は、3時半過ぎに起きて4時45分には家を出て。
生駒駅を5時17分発のコスモススクエア行きに乗って新大阪に向かい、6時25分発の「さくら」に乗って博多まで。
そのあと在来線で、福岡県糟屋郡篠栗町(かすやぐん・ささぐりちょう)までやって来ました。
3日間に渡る日本ゲシュタルト療法学会の大会。
初の大会参加です。
篠栗は、今から1200年前に弘法大師空海が密教を学び、「唐の国から帰国した際に、若杉山(奥の院)を訪れて、加持祈祷によって人々を救済した地」だそうで、八十八ヶ所霊場があるそうな。
それで、今回の大会のテーマも「ゲシュタルト的仏教体験」。
初日の昨日は、篠栗四国八十八ヶ所霊場「ニノ滝寺」住職の桐生俊雅(しゅんが)さんの基調講演から始まりました。
弘法大師空海が説いた「真言密教」の特徴は5つあり、それは「神秘主義」「総合主義」「象徴的性格」「救済の宗教」「現実重視」。
「神秘主義」については、「大宇宙」と個々の人間である「小宇宙」とが一体になる感覚。
ヨーガ(=瑜伽ゆが)とは、もともと「2つのものを1つに結びつける」という意味だそうです。
「総合主義」は「包容主義」ともいい、1つ1つのものごとに価値を見出すこと。
「象徴主義」とは、「大宇宙」と「小宇宙」の一体を体感できなくても、曼荼羅(まんだら)で見せることによって、仏の世界にアクセスする、イメージで念ずることができるのだということ。
曼荼羅にもいろいろあって、「種子(しゅじ)曼荼羅」とは梵字を眺めることにより、その字と一体になることで仏の世界にアクセスする。
「羯磨(かつま)曼荼羅」とは、元々は武器であった「独鈷杵(どっこしょ)」「三鈷杵(さんこしょ)」「五鈷杵」などを用いて、大自然の中に感じ入るもの。
「救済の宗教」ということでは、願いっ放しの信仰ではダメだというお話をされました。
願ったものが叶うように努力していくことが必要、と。
その時に「影=見えない力」が働くのだと。「おかげさまで」というのは、そういうこと、と。
最後の「現実重視」ということでは、瞑想の中に浸っていてはいけないのだと話されました。
暖かさを持ちながら「現実世界が理想世界と知る」ことが大事、と。
空海の「即事而真(そくじにしん)」、道元の「而今現成(にこんげんしょう)」という言葉で表されるものは、
思考領域ではなく現実重視であること。
つまり、ゲシュタルト療法の「いま-ここ」に繋がるのではないか、と。
仏教とゲシュタルトとの繋がりは、もう1点。
「聴くことの三要素」として
1 耳で聴く
2 目できく
3 心できく
が、挙げられるが、このようにして「聴いて」目指すのは「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」である、と。
「即身成仏」とは、「この身このまま、この世で仏となっていることに気づく」ことにあるのだ、と。
「耳で」が「聴く」になっていて、続く、「目で」「心で」がひらがなになっているのが印象的で。
「目で」「心で」は、感覚器官だけでなく、全身で聴こうとするからか、と思いました。
この五感へのアプローチは「入我我入(にゅうががにゅう)」。
「我が仏に入り、仏が我に入る」。その第一歩が、「阿字観」と話されました。
非常に面白かったです。
涅槃(ねはん)とは「あの世」にあるものではなく、「いま-ここ」の現実世界に存在する、それを具現化することを目指す、というのですから。
そうです。私たちは、今ここで、救われたい。
今ここで、心の平安が欲しい。
「あの世」がどんな素晴らしいものであろうが、今が苦しくて惨めなものであるならば、それは「救い」とはならない。
「いま-ここ」での心の平安を生み出す、という意味で、ゲシュタルト療法も仏教も、目指すものは同じであるような気がしました。
レポートはまだまだ続きます。
でも、今朝はここまで。
今日は「仏教体験」として、午前中は「お遍路体験」、午後からは「阿字観瞑想(あじかんめいそう)」を申し込んでいます。
さて、どんなプログラムが用意されているのか、そして私はそれに対して何を感じるのか、とても楽しみです。