今週初め、また、浅田慈照尼宅に伺って。
今回は、9時に家を出て、2時間掛からずに着いた。
…道に迷わなかったので。
私のナビはもう4年前のもので、新しい道を関知できないのだけれど。
(「感知」と入れようとして、「関知」の方がいいか、と、訂正。…でも私の感覚的には「感知」。)
こんなに長く「京奈和」が延びている、とは知らなかった!
ナビの地図上の「道なき道」を行くのは、なんだかふわふわと空中でも飛んでいる、感じ。
…しかし、AIが付いてないから、ナビは「学習」しない。
何度でも「空中浮遊」する。
「…ちょっとは、学習したら?」運転しながら私は悪態をつく。
…新たに通った道は、地図上で、書き加えていったらいいのに、ね。
そしたら、私の「相棒」になれるのに。
閑話休題。
今回も満面の笑みで迎えていただいて。
アンジーの不安げな様子をよそに、訪問が始まりました。
会うとのっけから対話が始まり。
私の、この週末の体験話から、慈照さんの「アサーション」に対する考えもお聞きすることができました。
私は、主催者の「チーム医療」に、コラムのURLを添付した問い合わせのメールも送っていて。
コラムの最後の、「著作権」に対する私の疑問に応えていただけるなら嬉しいです、と。
その返事がその日の午前中に届いたものだから、それでまた、一層話が盛り上がって。
私の「著作権が成立するのか?」の問いに、著作権についての説明を長々されても、ね。
その的の外し方は、問うていることを理解できなかったのか、敢えて外した応え方しかできなかった、のか。
「百武さんが、エンプティー・チェアを説明する際に、開発者の名前を言わないことと同じに相当するでしょう」と言われても…。
ももちゃんは、「コピーライト」をいちいち資料に付けないよ。
そうこうするうちに、慈照さんのご友人が高野山からお帰りになり。
なんと! 先月から始めた『ケアの社会学』読書会の事例研究の中に登場する施設の設立・運営に関わった方で。
まだまだ先のページのところで、そこにたどり着くまで1年以上掛かりそうですが、
しかし、またお話を伺うこともできる!と思うと、とても楽しみです。
…次の読書会で、皆さんにもお伝えしなければ。
アンジーはダルメシアンのあーちゃんが怖くて。
怖くて怖くて、全身の毛を逆立てて、吠える。
…ここに来ると、アンジーのこれまで見たことがなかった面を見て、ちょっとびっくりする。
吠えた後は、抱っこを求め、私の右肩に頭を乗っけて落ち着こうとする。
…ここは、アンジーの定番の安らぎの場所。
慈照さんは、犬の訓練士さんに、どうやったらワンコたちが仲良くなれるか、を聞かれたそうな。
それは…別々のゲージに入れて、同じ部屋で過ごさせること。
時間の経過と共に、お互いがお互いの情報を収集して、程よいキョリ感がつかめるそうな。
…とはいえ、「時間の経過」は、今回だけでは足りなかったようで。
時間切れ、となりました。
般若心経を自分の家でも唱えたいけれど、
何か、祀るものが欲しくて、「仏画」を描いてくださる方はいませんか? とお聞きしたら、
いろいろな流れから、般若心経の出だしにある「観自在菩薩」を譲っていただける、と。
まあ、びっくり!
本当にいいのかしら…と思いつつ、遠慮せずにいただくことにしました。
狭いワンルームで、どこに居ていただいたらいいか…と迷ったのですが、
とりあえず、飾り棚の上に、居ていただくことにしました。
…なんか、しゅっとして、素敵な立ち姿、です。