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「自分で自分を育てる」視点〜「読書への誘い」№137 Noteー考えるヒントー〜

2020/01/06
「自分で自分を育てる」視点〜「読書への誘い」№137 Noteー考えるヒントー〜
年末に10代の人に会うことがあって。
母の忘年会に付いてくる彼に、退屈しないで済む何か、を渡そうとして、
そうそう、「読書への誘い」の印刷残りのプリントあったっけ…と思いだし。
約束の時間前に急いでルームに寄って、何枚かの「読書への誘い」を取り出したのでした。

その時に第137号を見つけて。
その号は『もしもウサギにコーチがいたらー「視点」を変える53の方法ー』(伊藤守著・大和書房・2002年刊)というコーチングの本を紹介していました。

紹介リード文には


コーチングというものがあるのをご存じですか?
ある目的を達するために、精神的(メンタル)な面を含めてサポートする、言ってみれば「指導者学」です。
「教える」のではなく、本人の「やる気」を育てるコーチングの考え方を、ちょっと探ってみませんか?


ということを書いていました。
そして、<コーチングとは何か>の項から、本文紹介を始めていました。



<コーチングとは何か?>

イソップ物語のウサギとカメの話はとても有名です。

子どもの頃、祖母から歌つきで話してもらいました。

「♪もしもしカメよ、カメさんよ〜。世界のうちでおまえほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのだ。なあんとおっしゃるウサギさん……♪」

そして最後に祖母は「油断大敵」で締めくくるのでした。

 

たまたま私は卯(う)年で、祖母がウサギが愚かだと言うたびに、自分が言われているようで不愉快でした。

確かにウサギは慢心していた、しかし、私は心情的にウサギの側にいました。

だから、もし自分が今、ウサギのコーチだったら、ウサギにはレースに完勝させたい。

それ以前に、カメをからかったりするような、真似はさせなかった。

それから、レースのあと、イソップなんかにゴシップを書かれない方法などについても話し合っておきたいなどと思ったりしたわけです。…

 

しかし、実際にウサギをコーチするとなったら何をどのようにするのか具体的な策が必要です。

単にウサギとカメのレース結果を知っているという立場から意見するだけで、ウサギが動くとも思えません。

…この状況でウサギが考えを変え、自発的に行動を変えるようになるために、「あなたがコーチならウサギとどう接するか」について考えてみてください。

 

そして、ウサギをコーチングするという設定の元に、いくつかのコーチングの段階説明を紹介していくのですが、

今回、私がびっくりしたのは、その紹介本文の方ではなく、プリントの裏面に刷ってあった「Noteー考えるヒントー」の方です。



<№137 Note—考えるヒント—>

最初、高校生にコーチングの本を紹介するのは、適切ではないような気もしたのです。

それは、コーチングの視点や技術を会得しなければならない立場の人は、まず、教育関係者であったり、企業のマネージャーであったり、医療従事者であって(実際、筆者も「はじめに」でそのように書いています。)、高校生はどちらかというと、「コーチングを受ける」立場ではないかと。

 

でも、少し考えて、そんな「コーチ」が付いてくれる恵まれた立場にはなかなかなれない、ということもあるけれど、それより、自分でコーチングの視点を持てば、さまざまな問題に対応しやすくなるのではないか、という気がしてきたのです。

 

幸いにして今、導いてくれる人がいたとしても、一生そんな状態は続かない。

いずれ人は、自分で自分をコーチングする、つまり、「自分で自分を育てる」という視点を持たないといけないのではないか、と思ったのです。

…そんなことは、コーチングの本のどこにも書いていませんが。

(それはそうですね、コーチ不要論なんて、コーチングを仕事としている人が言い出したら自殺行為ですもんね。)

 

なかなか頑固で、融通が利かなくて、視点を変えるのが難しい自分自身をなだめながら、そして認めながら、まだ、諦めるには早いよと励ましながら、自分自身とつきあっていくのは骨の折れる仕事ですが、きっと生きていくということはそういうことなのでしょう。

 

言ってみれば、そういったときの「自分との対話」は内言活動です。
引用箇所にもありましたが、問題を言葉にして外に表すことで、自分の問題であっても自分を離れて客観視できるようになるのでしょう。
やはり言葉というものは、人が人らしく生きていく上で不可欠なものなのだと気づかされます。



この「誘い」第137号の発行が2007年6月、とあるので…13年前に書いた文章なのですね。
う〜ん…13年前の私は、そんなことを考えていたのか、とちょっと驚きで、感動的ですらありました。

ああ、私は、「自分で自分を育てる」視点を、既に持っていたんだ!

学校に通っている間は「カリキュラム」があって、いいも悪いも、それに従って「学ば」される。
窮屈ではあるけれど、一定の期間が過ぎれば、一定の「内容」が得られるような仕組みになっている。
「カリキュラム」とは、「何」を「どれだけ」「どの順で」を示したものだから。

しかし、「学校」を離れると、今度は自分で、何を、どう学ぶのか、を選んでいかないといけない。
それは大変なことだけど、人が生きていくためには必要なことなのだ、と、卒業を前にした高校3年生に、何度か話した記憶がある。

…そうね。本当に、そう。
高校3年生への言葉でもあって、私自身への言葉でもあったんだ…。

確かに、私は人に話をするときに、私自身に「言い聞かせている」気がする。
…頑固で、融通が利かなくて、視点を変えるのが難しい、自分に。

人に依存しない、そして人にも依存させない、視点は、ずっと私にあったんだ!
それは嬉しい「発見」でした。
ああ、大丈夫。この道を歩いて行こう。そう思えた瞬間でした。

画像は、今年の正月2日に友人と訪れた、神戸のバーでのテーブル灯。
そんなに強い光でなくとも、一隅を照らす存在でありたい、と思います。

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