10月10日土曜日。14時から2時間半。
ズームでフォーカシングの講演会ってどんなのだろう?って思って。
身体感覚を大事にするフォーカシングで、同じ空間に居なくて、デモセッションなんてできるのかな?
なんて思いながら。
池見さんの解説と、それから二人組になって、各自の部屋に分かれて、アニマル・クロッシングをやって。
…あ、いつも通りだ!
アニクロでは、私は珍しいことに「ウサギ」だった。
え? なんで? と自分でも思ったけれど。
そのウサ公の動きを描写する。
ピョンピョンピョン、と跳ねて、それから伸び上がって周囲を見る。
…なんのため?
それは、遠くを見通したいがため。
…遠くの、何を見たいの?
うん。コロナがいつ終息するか。それから…その後の世界がどうなっていくか。
…で、見えた?
いや。見えない。まだ、見えない。まだ…時期じゃない、みたい。
…じゃあ、待つしかない、ね。
うん。そうだ。待つしかない。
そんな動きを描写しながら、なぜ今の自分がウサギなのか、がわかった気がした。
それから、ずーっと講演は進んでいって。
デモセッションになった。
「是非、やりたい!」に手を挙げたのは、私とクララさんだけだった!
参加者は自分の画像を消してもらって。
すると、デモセッションのふたりと池見さんだけがいる空間になった。
まず、クララさんの話を私が聴く。
「おうむ返し」ではない、自分の理解をこまめに返していく、というのをやっていくんだけれど。
これが意外に難しい。
私も、カウンセリングの仕事で、毎日やっていることだけど、こんなに丁寧に聴いていくのは、初めて。
「はい、返していきましょうか」と池見さんに声掛けされて、のタイミングが、
自分が普段やっているのとは明らかに違うタイミングで。
最初、ちょっと慣れなかった。
そのうち、あ、こんな感じね、がちょっとつかめたぐらいでタイムアウトとなり。
次は私の話を聴いてもらう。
「答えのない話」と言われて、即座に子どものことを思い出す。
…そうそう。昨年8月に行き違いがあって、その時もしんどかったなあ…
そう、あの時も「青空フォーカシング」で、少し救われた気がしたんだっけ。
さて。話は、今回の、ではなく、前回の子どもとの「行き違い」の話になって。
私と母の「確執」を、単なる「ケンカ」のように捉えている子どもの、「脳天気さ」に私は腹を立てていて。
それにしても、それをハッキリと人前で言葉にしたのは初めてで。
親しい友人に話しているのとは違って、言葉が明確に「外向き」で、何か…自分の考えていたことがクリアになった、気がする。
そして。池見さんの、「(捉えの)返し」が心地よくて。
ああ、こんなにも分かってくれた、が後に残り。
もちろんデモセッションだから、問題の解決には至らなかったのだけど。
しかし、「聴いてもらった」気がして。
そして、「聴いてもらえた」だけで、癒しは生じるんだ、ということを体感した。
そういえば、昨日初めて来られた方のカウンセリングで。
お母さんとの関係で悩んでいらっしゃる30代の女性がクライエントさんで。
私の、「でも、問題は、お母さんにある、のではなく、そのお母さんに対して、期待に添えない自分を責めてしまう、罪悪感を感じてしまうご自分、なのでしょう?」
と、捉え返した言葉が、ご自身に響いたようで。
その言葉で、今後、カウンセリングを続けていくことを決心されたのでした。
そんなことも合わせて考えていくと、そう…「聴いてもらえた」感じは、自分の話を相手はどう受け止めたか、で測ることができる。
そして、本当に、それだけで癒しは始まる。
「聴く」ことの大切さ、そして、どのように聴くか、を考えることのできた講演会でした。
画像は、昨日、午後からの仕事を終えて、思い立って出掛けた馬見丘陵公園の、コキア。
色づいている、という情報がフェイスブックにあって、一昨日、出掛けたんだけど、見つけられなくて、
リベンジで訪れました。