旭山動物園の名を知ったのは、…確か10年以上前で、「読書への誘い」で紹介する本を探していて、旭山動物園の改革を報告した講談社新書を読んで、だったように思います。
日本の動物園で一般的な、動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく、行動や生活を見せる「行動展示」を導入したことで注目を集めた、のだったと記憶しています。
確かに! スケルトンになったトンネル道を歩いていくと、天井やすぐ真横にペンギンが泳いでいくし、

木に登っているヒョウも、真近に見られるように、同じ目線で見られるようにもしてあったし、

キリンの餌を上の方に置いてあるから、キリンの顔が、すぐ近くに見られたし、

ホッキョクグマの「もぐもぐタイム」には、水の中に餌を投げ入れてくれるから、ホッキョクグマが真横で泳ぐ姿が見られたし、

随所にその動物特性が分かるように工夫されていて、これが「行動展示」なんだ!と感心したけれど、

「ホッキョクグマを見終えたあなたへ」というメッセージボードを見て、う〜ん…と思ってしまいました。
なんか、ね、…苦しいな、と思って。
確かに環境汚染、地球温暖化の問題はホッキョクグマの生きていく環境を破壊するものだけど、そういった問題を提起していくことで、「動物園」の存在意義を主張したいのかもしれないけど、でもね…そんな主張なら、別に動物園で動物を囲わなくてもできるような気がして。
もちろん身近で動物を見られることは迫力でした。
その大きさも、行動も。
だけど…今はバーチャル映像を駆使できるんだから、そういった方法もあるんじゃないの? と思ってしまって。
「暑いんだけど」とペンギンもホッキョクグマも、うだっていて、…そうね、君たち、そもそも寒いところで生きてんだものね、と32℃超えの予報を聞いていたから、気の毒になって。(北海道で7月初めに32℃! どうかしているよ、温暖化!)
ベンガルドラもウロウロと動いてくれるの迫力でしたけど、でもなんか、「毎日毎日、死ぬほど退屈…」って声が聞こえてきそうで…。

ごめんね、と思ってしまったのでした。
お昼に動物園前で待ち合わせた高校の時の同級生に、ちょっとそういうことを言ったら、「でもさ、動物園で生まれて、そこしか知らない奴もいるからさ」と言われ、…そうか、そういうこともあるね…とも思い、それでも、囲われた人生を気の毒に思ったことでした。
あ、ここまで打ってきて、わかった!
私、「囲われた人生」に反応してたんだ!
身につまされる思いがしたのは、こういうことだったんだね…。
ああ、伸び伸びと生きていっていいんだよ。
そう言って欲しかったし、子どもにはそう言ってあげたいし。
そうか…なるほどねえ…。
檻に入れられた人生を感じ続けて、私、それに抵抗して生きてきたから、なんだね。
狩猟犬種である杏樹(アンジー)にも、仔犬の頃から、自転車を使ってでも、一文字になるくらいのスピードで走らせてきたのは、本能に逆らうことを少しでもしたくなかったから。
逡巡した挙句、去勢手術をしたことにどこか後ろめたさがあって、だって、長男にはそんなことしないのに、次男のアンジーにはそんなことするの? って、聞かれたら私、ホント答えようがない…。
そんな自己矛盾を抱えているのですけど、ね。私も。
画像は、水飲みにやってきたキリンさん。
餌は上に置き、水は下に置いて、下の観察部屋からも見られるようにしてありました。
(キリンさんが、私、一番好きなのです。でも、草原を走っていてほしいなあ…。
あ、それは、ボサノバのアントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」というアルバムジャケットの画像でした。)