「あいさつは大事」 平田俊子
橋を渡ろうとするときは
「通してください」とあいさつなさい
でないと半分渡ったときに
橋はふたつに割れるでしょう
車に乗ろうとするときには
「乗せてください」とあいさつなさい
でないとシートにすわったとたん
タイヤの空気がぬけるでしょう
プールで泳ごうとするときは
「泳がせてください」とあいさつなさい
でないと足をおろした瞬間
プールは砂漠になるでしょう
顔をふこうとするときは
「ふかせてください」とあいさつなさい
でないとタオルは顔にはりつき
苦しい思いをするでしょう
ベッドで寝ようとするときは
「寝かせてください」とあいさつなさい
でないとぐっすり眠ってる間に
ベッドは棺桶になるでしょう
(詩集『ターミナル』1997年刊 思潮社)
平田俊子の詩との出会いは、1984年刊の『ラッキョウの恩返し』でした。
表題作の詩はちょっと特異な情景で、突然大量に送られてきたラッキョウとの格闘を描いていくのですが、ちょっとついていけなかった記憶があります。
それから考えると、ちょっとブラックユーモア的ではありますが、まだこの詩は咀嚼(そしゃく)できるような気がして、紹介したような。
1998年に『ターミナル』で第39回晩翠賞(土井晩翠を記念した、詩集に贈られる賞。第50回を機に2009年に休止)を受賞しています。
さて。橋、車、プール、タオル、ベッド。
日常のありふれたものに対して(プールはちょっと違うかもしれませんが)、それなりに遇しないとトンデモナイことが起こる、という警告。
普段気にも留めていないものたちの反乱、が起こるかもしれない、という。
こんな発想はどこから来るのでしょうね。
日常が、そんな安心できるものに支えられていないという不安、でしょうか。
確かに。何の疑いもなかったものが、ぱっくりと口を開けて「私」を呑み込もうとする。
突然のアクシデントに見舞われた時には、そんな感覚になるかもしれません。
「私」はいったいどこに立っていたのか、何をしようとしていたのか、混乱してしまうような。
「日常」に潜む「非日常」。
3日前、庭仕事をしていた母が「骨、折れた、と思う」と家の中にいた私に言いにきました。
よろめいて、手をついたらしい。
見ると、左手首が目で見てわかるぐらい、ずれていて。
ギャッと思いました。ちょっと目を逸らしたくなるような。
けれど、そうも言ってられない。夕方だったし、お盆休み中なので、病院もお休み。
救急に問い合わせて、救急対応の病院を教えてもらって。
8軒目でやっと整形外科の先生がいらっしゃる病院が見つかって。
応急処置をしていただいて、家に帰れば、8時を過ぎていた。
翌日、近くの入院できる病院に受診に行ったけど、母は昨年、小脳梗塞を起こしているから血液をサラサラにする薬を飲んでいて、それを止めないと手術できなくて。
薬を出してくれている医院と連絡を取って、受診して、整形外科の先生へのお手紙を受け取って。
今日、もう一度整形外科を受診して、手術日が決まります。
手術は、金属板を入れて、固定させて、1年後にそれを取るそうな。
「全く杏樹(アンジー)(が左前足を折った時)と同じだ!」と叫んでしまいました…。
アンジーは1年後ではなく、3ヶ月後に金属板を取りましたが。…歳をとるとね、時間がかかるんだ。
まあ、私の母の例は、物理的な怪我から生じることだけど。
心も…同じような気がする。
思わぬところでつまずいたり、怪我したり。
自分がどんな風に日常を暮らしていたのか、定かでなくなる、ような。
心も、ね。手当がいる、よね。
傷ついた時には胸が痛くて、血が出ているような気持ちがする時、あったけど。
…本当に血が出てたんじゃない? だって、潰瘍で穴があくもの。
生身の身体。生身の人間。
厄介だね。厄介で、面倒くさくって、…いとおしい。
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