『まど・みちお全詩集』という理想社から1992年に出版されたものがあります。私の持っているのは、1997年新装版第5刷なのですが、これは、戦時中の戦争協力詩2編を含むものです。
多くの詩人は、そういった類いの詩は削除して編集すると聞きました。
まど・みちおさんは、そうはしなかった、ということで新聞にも取り上げられたことがあります。
…誠実な、という言葉では表しきれないのですが、そんなまどさんの詩を、今日はまず1編紹介したいと思います。
「けしゴム」
自分が書きちがえたのでもないが
いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが
いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが
いそいそと けす
そして けすたびに
けっきょく 自分がちびていって
きえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいとおもったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて
(1970〜1979)
けしゴムって、そういえば、文房具の主役じゃないですね。
脇役。だけど、なくては困る。
書き損じは必ずといっていいほどあるので。
でも、消すものは、書き損じ、だけではないのですね。
ああ、こんなこと書くべきではなかったという心にもないことや、
しまった、こんなところを汚してしまった…という不手際から生じた汚れや。
どれもこれも、人の後始末。
じゃあ、けしゴムって損な役割なの?と思うと、そうではない。後に何が残るかというと、
「正しいと思ったことだけ」「ほんとうと思ったことだけ」「美しいと思ったことだけ」が残る。
「〜と思ったこと」というのが謙虚ですね。
その時はそう判断した。それがずっとそうかどうかはわからないけれど。
でも、その時その時の判断で、生きていくしかない、のでしょう。
私たちの人生も、その時その時の精一杯で、積み上げていけばいいのかもしれません。
今日できること、今できること、それ以上を自分に要求すると苦しくなる。
あれやこれやを抱えていっぱいいっぱいの時には。
私たちは有限の存在。
でも、「正しいと思った」「ほんとうと思った」「美しいと思った」というあなたの判断は誰かの心に残る。
心が動いた、ということは伝わる。
…そんなことをこの詩から考えたのでした。
画像は大阪・心斎橋の喫茶店。一隅を照らす灯りが素敵です。