朝夕が随分涼しくなりましたね。
杏樹(アンジー)の散歩で、朝と夕方近所を歩くのですけれど、校区の小学生が道端で集まって、たむろしているところに出会ったりします。
仲良く遊んでいる時もあれば、何やらちょっとトゲトゲしい雰囲気の時も。
一方的に何か言われている子がいる時もあります。
見ていて、ちょっと思い出した詩を。
「くち」 まど・みちお
いわなかったことは
いったことの
たいがい いつも
なんばいかだ
それに
いったことは
たいがい いつも
いうまでも なかったことだ
で くちも
くちで ありうるわけか
こんなにして
ぐちる ときだけは
くちらしい くちで
(『まど・みちお全詩集』第一部詩 1980〜1989)
自分の気持ちが言葉になって、すらすら出てくればいいのですが、なかなかそうはならない。
幼児だと、ここで手が出たりする。噛み付いたり、も。
でも、幼児でなくなって、いくらか言葉も習得して…、だのに、肝心な時に的確な言葉が見つからない。
なぜ?
自分の感情がうまくつかめない。だのに、何か言わなきゃ…の思いだけが先走る。
ドキドキしながら、何も言えなくなる。
かろうじて言葉にしても、何か、本当に自分の言いたかったことと、かけ離れているような。
そんなドキドキ感、ざわざわ感をこの詩から感じました。
あるいは…言葉にできるのだけど、言ったら、どうなる? 受け入れてもらえなくて人間関係が崩れちゃう…そんな気持ちになって、言葉を飲み込む…こともあるでしょう。
あるいは…言ってもわかってもらえそうにない、と諦めてしまう時。
言うと、わかってもらえなくて、自分が傷つきそうな時。
第2連も切ないですね。やっとの思いで言ったのに、それは何も言葉にして「いうまでもなかったこと」。
居合わせた人たちの中で、シラ〜とした空気を感じたのでしょうか?
後に残るは、とんがらせた口、もしくは、下唇を噛んでいる口、…などなど。
悔しい気持ちを随分素直に表現しています。
言葉は…、表現を待ってくれている人、十分表現仕切れなかった言葉の切れ端を拾い上げようとしてくれる人がいないと、紡いでいけないものですね。
そう!言葉は糸のように「紡いて」いくものなのです。
カウンセリングルームでは、ゆっくりと、あなたが言葉を紡ぐのを待ちます。
あるいは…言葉にならなかった切れ端を丁寧に拾い上げて、言葉にするお手伝いをします。
話しきれなくて、気持ちがもやもやして、後で口をとんがらせないで済むように。
画像は富雄の自然食のレストラン。