しばらく絵本を紹介していないなあと思ってごそごそと本棚を探っていると、面白い絵本を見つけました。
木曽秀夫さんが文を書き、絵も描かれています。
1984年の第1刷。サンリードから出版されています。
表紙絵自体が、不思議な感じ。
赤い顔した天狗と緑の顔した天狗が向き合って、鼻が繋がっています。
繋がったところの色は、混ざって紫色。
では、ゆるりと参りましょうか。

《ずっとずっと むかしのこと、
やまの かみさまは てんぐどんじゃった。
ひでりが つづいて さくもつが かれて
しまうと、じまんの うちわを ひとふり、
あまぐもを よびよせて、たや はたけを
みどりで うるおす。
わるい びょうきが はやっても、
てんぐうちわを ひとふりすれば、たちどころに
はやりやまいを おいはらう。
それはそれは、ありがたい かみさまじゃった。》
なんか、意気揚々とした天狗どんが、颯爽と登場します。
…神さま、なのですね。
《じゃによって、てんぐどんの すむ やまのてっぺんの、おおきなきのしたには、
「てんぐさま、こどもを さずけて くだされや」、
「しょうばいが はんじょう しますように」
と。いつもいつも おそなえものが いっぱい。
おかげで てんぐどん、まいにちまいにち、ごちそうをたべて、
かおは つやつやの まっかっか。》

《ところがじゃ、なんねんもなんねんも、ながいきしている あいだに、
やまのようすが、だんだんと かわって きたのじゃ。
そんな あるとしに、となりやまに おみやが できてなあ。
それからというもの、もう だれも てんぐどんなぞ みむきもしなくなったのじゃ。》
あらあら、大変です。隣山には行列ができているというのに。
天狗どんの山には木枯らしが吹いています。

《そなえものは とんと こなくなるし、
もう ごちそうは たべられぬ。
てんぐどんは みるみる やせて、
だんだんと あおいかお。
しまいには じまんの うちわも かれは どうぜん。
とくいの じゅつも つかえなくなってしもうたわ。》
なんということでしょう!赤いお顔が、どんどん青くなっていって…。
商売道具のうちわまで、枯れてしまっている!
《ーーーこれでは、どうにもならぬ。
そうだ、 わしも にんげんの まちへ いって、なにか しごとをしよう。
はたらいたら、きっと ごちそうが たべられるーーーと、
かんがえた てんぐどん、やまをおりて、まちへと むかったのじゃ。
まちでは いろんな ひとが はたらいておる。
てんぐどんには めずらしいことばかりじゃった。》
はあ。たくましいね、この神さまは。働こう、だなんて。
働いて、ご馳走を食べよう!というところが、あんまり神さまらしくないけど。

《てんぐどんは、さっそく さかんの しごとを はじめた。
もともと かみさまだったてんぐどん、
しごとの おぼえは はやく、
みるまに かべぬりに かかったのは いいが、
ながい はなが じゃまをして、
ぬりたての かべを ずりずりと こすってんぐ。
これじゃ、さかんの しごとは とても かなわぬ。》
…ちょっと駄洒落も入って。
でも、右下の親方らしき人が怒っています。

《つぎなる しごとは たたみやと ござい。
ところが ところがじゃ。
ひとはりごとに、はなは たたみを こすってんぐ。
はりは、ぷつり、
はなは ひりひり、
ぷつり ひりひり、
ふつり ひりひり。
じまんの はなも きずだらけ。》
あ〜あ、畳に傷などつけちゃって。これじゃあ売り物になりません。
このあと、いろんな仕事に挑戦するのですが、長い鼻がじゃまして、全部ダメ。
《こまった こまった、このながい はな。
これじゃ まちにも すめぬわい。
さりとて、あれほうだいの てんぐやまへ かえってみても どうにも ならぬ。》

《さてさて、これから どうしたものかと、
てんぐどん、まちの なかを
あっちへ とぼとぼ、
こっちへ ふらふら していると…
てんぐどんの よこを、びゅーんと、はしりぬけた ものが おった。
それは てがみを はこぶ ひきゃくじゃった。
はしることの とくいな てんぐどん、
これを みて “はっ”と、おもいついたのじゃ!》

《そのときから てんぐどんは ひきゃくに なった。
ながーい はなの さきに、てがみの はこを むすびつけて、はしるはしる。
「やより はやい てんぐどん、
ひゅーんと かぜきり いだてんぐ」
と、うたにまでなる にんきもの。
それに すっかり げんきになった てんぐどん、
かおは もとのように つやつやの まっかっか!
そうら、いまでも てがみを いれる ポストは、
てんぐどんのように まっかっかの つやつやじゃろうが。》
ということで、めでたしめでたし、なのですが。
これは、とっても子どもが喜びましたね。
言葉の調子もいいし、天狗どんの仕事の失敗の図の繰り返しが、また面白い。
子どもは繰り返しが好きですものね。
ポストの赤、にまで話をつなげる念の入れようも、凝っています。
まあ、自分の何かが合わないのだったら、それに固執しないで何か合うことを、というのは、簡単に言えますけど、なかなか、そんな思い開きはできない。
自己否定に陥ったり、もう生きていけないと絶望したり。
でもまあ、マイナスにしか見えないことが、プラスに転じることもあるのですよね。
なかなか、自分では気づけないことでしょうけれど。
そして、モデルも要ります。
実際に飛脚を見て、天狗どんも「は!」としたわけですから。
…でも、天狗どんが落ち込んで、自分の中に閉じこもっていたら、飛脚が走っても気づかないかもしれない。
ヒントは近くにあっても、見逃すこともある、と思うのです。
本当は、困った時ほど、深呼吸して、周りを見回すことが必要なのですね。
それができない時のために、カウンセリングルームはあります。