3月も中旬を過ぎ、今日はお彼岸ですね。
今回は、「読書への誘い」第77号で紹介した辻征夫の詩、「学校」を取り上げたいと思います。
「学校」 辻征夫
ゆうべからおなかが痛くて
医者へ行くから今日は休むと電話をかけた
もちろんおなかは痛くないし医者にも行かない
わたしは教師だが教師だってときには
学校なんかに行きたくない日があるんだよ
だれも私を(ぼくを/おれを)わかってくれない?
あたりまえじゃないか
ひとの内部ってのは やわらかい 壊れやすい暗闇だから
無闇にずかずか踏み込んではいけない
それが礼儀なんだよ
それくらいのこともわからないぼんくらに
(きみの気持ちはよくわかるけどね)
そんなことまでいうんだわたしは
あああなんだかほんとうにおなかが痛んできたよ
だんだんずるやすみではなくなってきたみたいだけど
とにかく今日は行かないよ
ぜったいに行かない 登校拒否だ
そう決めたんだわたしはって
こういうところは子供のときと同じだなあ
おさなごころって
こんなところに残っていたんだ
あとで女房に話してやろう
女房のおさなごころはなへんにあるか 臀部(でんぶ)か
と考えていると娘の部屋で物音がした
とうに学校に行っていなければいけない時間なのに
どうしたのだろう
なになに ゆうべ遅くまで勉強したので起きられなかった?
今日は行きたくないから電話をかけて?
やだなあ
やだよ
娘と二人で散歩に出かけた
ちょっと近所のつもりが電車に乗って
郊外の川原に来た
変な気持ちだがいい気持ち
ぼんやりしてたら娘が言った
おとうさん?
なあに?
あしたは学校へ行く?
どうしよう
行けば?
うん
(詩集『萌えいづる若葉に対峙して』思潮社・1998年刊)
ふふふ。
なんか、妙に、…笑えてきません?
あまりに、率直で。
「ゆうべからおなかが痛くて/医者へ行くから今日は休むと電話をかけた」
のに、「もちろんおなかは痛くないし医者にも行かない」って。
いやはや。確信犯、だよね?
でも…毎日の生徒とのやり取りで、とても「疲れている」ことがわかる。
「それくらいのこともわからないぼんくらに/(きみの気持ちはよくわかるけどね)/そんなことまでいうんだわたしは」
…ああ。自己嫌悪、だね?
自分ばかりが「傷ついてる」感、満載のオーラを発している生徒相手に、
「『先生』は何を言っても傷つかないと思っているよね、君。」と思いながら、それでも、なだめるように接して、
でもあるとき、ダムが「決壊」するように、自分の気持ちがどうにも自分の中に収まりきれなくて、誰にも会いたくなくなる。
うん。わかるよ。
で、「とにかく今日は行かないよ/ぜったいに行かない 登校拒否だ」って息巻いて。
そんな、自分の「おさなごころ」の発見から、余計な「女房のおさなこころ」のありかまで気になって。
と、そうこうするうちに、娘が家にいることが発覚して。
でも、いいよね。娘と二人で散歩に出掛けるなんて。
「変な気持ちだがいい気持ち」でいたら、「おとうさん?」「あしたは学校へ行く?」
なんて、声かけられて。
で、言いますか!? 「どうしよう」なんて…
余りに「おさなごころ」過ぎるでしょ!
でも娘は優しいよね…。「バカじゃない!」ではなく、「行けば?」なんて。
で、おとうさんも素直に「うん」と答えてる。
でも、こんな風に「ひとの内部ってのは やわらかい 壊れやすい暗闇だから/無闇にずかずか踏み込んではいけない/それが礼儀なんだよ」
ってことが、わかっている人に学校にいてほしいよね。
自分も教員だったのに、そんなことを言うのもどうか、とは思うけど、教員には、余りにも「無闇にずかずか踏み込む」人が多い気がしてならない。
なんでかなあ?
ちょっと自分のしんどさを眺めてみたら、わかるようなものだと思うのだけど。
人は「元気!」でばかりいられないことを。
なのに、どうして「いつも元気!」を推奨する?
…というようなことを、あれこれ考えたことでした。
画像は、馬見丘陵公園で、ぽつんとひとつ見つけた、桜花。