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ゼロから始める〜長田弘の詩「あのときかもしれない 二」〜

2018/04/04
ゼロから始める〜長田弘の詩「あのときかもしれない 二」〜
前回は「あのときかもしれない 一」を取り上げて、「あのときかもしれない」の一から九が、どんな仕組みになっているのかを見通しました。
その中で「気がついてみたら、おとなになっていた。」という表現に、ちょっと「引っかかり」を感じました。
…ひょっとすると、フォーカシングの池見陽さんが言われるところの、「推進された“だった”(Carried foward “was”)」なのではないか? と。

体験過程で、過去がクリエイトされる(創り出される)、今の気づきが過去を変えるということ。

ああ、そうだったんだ…と、過去の持つ意味が変わる、という「Carried foward “was”」。

まあ、それはさておいて、今回は、次の「二」を取り上げたいと思います。


    「あのときかもしれない 二」             長田 弘

 きみが生まれたとき、きみは自分で決めて生まれたんじゃなかった。きみが生まれたときにはもう、きみの名も、きみの街も、きみの国も決まっていた。きみが女の子じゃなくて、男の子だということも決まっていた。

 一日は二十四時間で、朝と昼と夜とでできている。日曜は週に一どだ。十二の月で一年だ。そういうこともぜんぶ、決まっていた。きみはきょう眠った。だが目がさめると、きょうは昨日で、明日がきょうだ。それも決まっていた。きみが今夜寝て、一昨日の朝起きるなど、けっしてなかった。

 きみが生まれるまえに、そういうことは何もかも決まってしまっていたのだ。きみがじぶんでで決められることなんか、何ものこされていないみたいだった。赤ちゃんのきみは眠るか、泣くかしかできなかった。手も足もでなかった。手も足もすっぽり、産着にくるまれていた。

 はるばるこの世にやってきたというのに、きみにはこの世で、することが何ひとつなかった。ただおおきくなることしか、きみはできなかった。それだってもともと決まっていたことだ。赤ちゃんのきみは何もできないじぶんがくやしかった。いつもちっちゃな二つの掌を二つの拳にして、固く握りしめていた。

 ところが、きみが一人の赤ちゃんから一人の子どもになり、立ちあがってじぶんで歩き出したとき、そのきみを待ちぶせていたのは、まるでおもいもかけないことだったのだ。きみがじぶんで決めなければ、ほかにどうすることもできないようなことだった。きみはあわて、うろたえ、めんくらった。何もかも決められていたはずじゃなかったのか。だが、そうおもいこんでいたきみはまちがっていた。

 きみが生まれてはじめてぶつかった難題。きみが一人の男の子として、はじめて自分で自分に決めなければならなかったこと。それは、きみが一人で、ちゃんとおしっこにゆくということだった。おしっこがしたいかしたくないか、誰かにそれを決めてもらうことはできない。我慢するかしないか、ほかにひとに代わって我慢してもらうことはできない。きにみしかできない。きみは決心する。一人でちゃんとおしっこをする。

 つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。きみは何が好きで、何がきらいか。きみは何をしないで、何をするのか。どんな人間になってゆくのか。そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、ほんとうは何一つ決められてもいなかったのだ。

 そうしてきみは、きみについてのぜんぶのことを自分で決めなくちゃならなくなっていったのだった。つまり、ほかの誰にも代わってもらえない一人の自分に、きみはなっていった。きみはほかの誰にもならなかった。好きだろうがきらいだろうが、きみという一人の人間にしかなれなかった。そうと知ったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。
                            (詩集『深呼吸の必要』晶文社・1984年刊)


「きみが生まれたとき、きみは自分で決めて生まれたんじゃなかった。」

「一」で、生まれる時さえも自分で決めて生まれてきたきみが、一転して、違う立ち位置に置かれていることから、「二」は始まる。
「きみが生まれたときにはもう、きみの名も、きみの街も、きみの国も決まっていた。きみが女の子じゃなくて、男の子だということも決まっていた。」
…なるほど、ね。
「不条理」ってやつですか。

「赤ちゃんのきみは眠るか、泣くかしかできなかった。手も足もでなかった。手も足もすっぽり、産着にくるまれていた。」
このところで、ふふふっと笑ってしまった。
「手も足も出ない」ーー確かにねえ…。産着は「お包(くる)み」って言うわ。そういえば。

「赤ちゃんのきみは何もできないじぶんがくやしかった。いつもちっちゃな二つの掌を二つの拳にして、固く握りしめていた。」
…そうだよねえ…。赤ちゃんの、あの、火のついたような泣きようは、悔しいから、なんだ。
なんだか、とっても納得。

そして、「きみが生まれてはじめてぶつかった難題。」が出されるから、なになに?と思ったら、
「それは、きみが一人で、ちゃんとおしっこにゆくということだった。」
え? と思うけど、確かに。

ボイス・アートのまやはるこ先生の、「おじぎ呼吸法」での「声かけ」が脳裏に浮かぶ。
「食べること、排泄すること、息をすることは、ほかの誰にも代わってもらうことはできません」

…考えてみると、人は、自分で排泄することから始まり、自分で排泄することが難しくなって終わるのだなあ、と。
そして、生き物として自分で食物を取り、排泄し、呼吸できなくなると、「生きている」とは言えない状態になるのだ、と。

「つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。きみは何が好きで、何がきらいか。きみは何をしないで、何をするのか。どんな人間になってゆくのか。そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、ほんとうは何一つ決められてもいなかったのだ。」

なあんか、ね。
この辺りなんか特に、今カウンセリングに来られている10代の人たちに、読ませたい気持ちになる。
カウンセリングに来る人は、基本的に自分が嫌いなんだけど。
「きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。」のだから、自分が嫌いな限り、なんでもうまくいかないよ、と。

でも…私もそうだった、なあ。
14の時から自分の思いを書き綴った大学ノート。
20冊を超えた辺りで、自分の書き綴った言葉たちが「醜い」と感じた。
…なんか、限りなく「とぐろ」を巻いているようで。
どこまでもどこまでも、地の底まで沈んでいくようで。
それで、「書くことを止めよう」と思った。

自分の内に「暗闇」があることを知ったので、
私は「光の方向」に歩みたいと思った。
…ちょうど、大学を出て、就職しようと思ったころ。

「きみはほかの誰にもならなかった。好きだろうがきらいだろうが、きみという一人の人間にしかなれなかった。そうと知ったとき、そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。」

…そうか。
だったら、私は、大学4年生で大学院に行くことしか頭になくて、そして、院試に失敗して途方に暮れた半年後、就職しようと思ったとき、かな。
確かに、自分を嫌いでも、引き受けざるを得ない、と思った。
「書くこと」を封印して、とにかく自分以外の、外の世界を見ようと思った。

そこが、私の「境い目」だね。確かに。
そのとき私は、「外に出て行くこと」を選択したんだ。
怖いけど。怖かったけど、それ以外に自分の生きる道はなかった。

…とりあえず、今日のところはここまで。
さて、「三」はどんな世界が啓かれるのでしょうね。

画像は、杏樹(アンジー)との朝の散歩で見かけた、ご近所の庭。
朝日が地面の苔を美しく照らしていました。
落ち込んだマイナス気分に留まるのではなく、ゼロから始めようと決心して就職することにした23の私の気持ちを思い出させてくれました。

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