朝、アンジーの散歩ついでに母のいるマンションに寄る。
そのときに、エントランスの郵便受けから新聞を取って、持って上がる。
エレベーターで上がる間に、第一面の紙面を読む。
第一面の左下に「折々のことば」があって。
私の好きな鷲田清一。
スマホを持っていたら、気に入った時には写メで撮る。
10月8日は、いせひでこ、の言葉だった。
青空に、修復の可能性を残さないほどにまっすぐな飛行機雲を見ると、悲しくなる。
鷲田清一の解説。
「どうしてあんなに正々堂々と、自分の軌跡を残せるのか」と続く。絵を描く時、描くことは生きていることと一つで、できばえは結果にすぎないと画家・絵本作家は言う。
いや人生そのものが、どこに行き着くかもわからず、ひたすら迷い、喘(あえ)ぎ、歯ぎしりするほかないもの。
結果はどうあれ信じる生き方を一心に貫くだけ。
画文集『旅する絵描き タブローの向こうへ』から。
ふうーん。。。
線を描く、というのは、それほど覚悟がいるものなのか。
私は…絵は描けないけれど、書は6歳から15歳までやっていた。
大人になって、少し仮名を習いにも行った20代。
それから、早期退職した元同僚の書道の先生に習いに行った50代。
線の、思い切りの良さだけが、私の取柄だった。
確かに。
一旦、墨を含ませた筆を紙に置いたら、もう覚悟を決めて書き始めるしかない。
いつまでもためらっていたら、ぐじぐじと、紙には染みのように墨が広がっていくだけだ。
そのためらいは、歩みだせない自分を見せつけてくれて、なんとも収まりが悪い。
確かに。
子どもながら、私はその時々の自分のありようを、その線に見ていた。
ためらいは、筆を紙に置くまで。
置いたら、もう一気に始めるしかない。
息をつめて。その一歩を始める。
その軌跡が思うような線になっているかどうかは、もう「運」でしかない。
少なくとも、そんな風に始めた線は、勢いのある「生きた」線になっている。
形がどう、という前に、線が生きていないと始まらない。
そのことだけは子どもながらに分かっていた。
もうすぐ中3になる、というお正月。
書き初め大会の会場で、お題の「気宇雄大」を行書で書いた。
書いた瞬間、自分でもこれは良く書けた!と思った。
「気」のハネ、「宇」の最後の流れるようなライン、「雄」の左右のバランス、「大」の太く安定感のある落ち着き。
「特別賞」をいただき、奉納先の伊勢神宮まで招待された記憶がある。
書の線と絵の線と…それは、どう違うのか。
物の輪郭の線、だろうか? 覚悟がいるのは。
…そうかもしれない。
それが決まらないと、何も決まらない、ような。
飛行機雲。
確かに、ためらいもなく。
そもそも、どんな線を描かないといけない、という制約があるわけではないので、
そんなことを考えてもいないところから生まれる、潔さ。
後のことは後から考えればいい、のかもしれない。
描いた線から、次なる線がまた生み出され、
それが結果として、何かの「物の輪郭」になるのかもしれないけれど、
しかし、何の「物の輪郭」にもならない、かもしれない。
それでも、いい、という気がする。
思うようにならないことだらけの人生で、
その時その時の「線」を描けば。
結果として、何かの形=輪郭になっているかもしれないし、なっていないかもしれない。
それでいい、と。
生きた、ということだけが自分に残れば。
このところ、空が青い。
空を見上げながら、飛行機雲が見えたら、
「思い切りの良さだけは、負けないゾ」と思う…と思う。
画像は今年の10月1日に撮った、鬼取町のコスモス。
限りなく、空は青かった。
もうコスモスの季節も終わりました。
ニュースでやっていましたが、曽爾高原の薄も今月いっぱいだそうです。